(ええいままよっ!!)


 真ん中の道を直進した!!…だが直進しただけでは当然ながら姿は隠す事が出来ない、ならば身を隠せるようなもの、場所が無いか血眼でキョロキョロ見渡していると後ろから「どこ行きやがったあの銀髪バカァァァァ」と鬼のような妙の声がする。それもかなり近い。まずい躊躇している暇は無ェ、と突き当たりを曲がる、すると道を曲がり姿を眩ますギリギリで妙に見つかったらしい。「ソコかァァァ!!」
(やべぇぇぇマジで殺されるゥゥゥゥ!)
 もう逃げている場合ではないこのままだと追いつかれるのは時間の問題、隠れなければ見つかる…と銀時は半泣きで隠れられる場所を探す…すると何とも怪しげではあるが下へ続く小さな階段を脇に発見した。躊躇している暇は無いとそこを下るとなんと地下の駐車場に続いているらしい。妙に見つけられやしないかとビクビクしながら段差を駆け下り、車の影に隠れた。駐車場の入り口は勿論この階段だけではない。銀時を追尾している刺客は勿論妙だけではないだろうから、取り囲まれれば大変な事にはなるがとりあえずはここで身を潜め様子を見ようと思う。早鐘を打つ心臓を抑えようと大きく深呼吸。

 日も差さないらしい地下は、薄暗く、安っぽく古びた電灯がチカチカと点滅を繰り返すだけだ。どこから迷い込んだか蛾がその仄暗い灯の周りをくるくると円舞している。銀時はぼんやりとそれを見上げながら、痛む心臓をぎゅっと押さえた。
 どこから入ってきたか、真夏とは思えぬ妙に冷たい風が髪を揺らす。

 

 

 

 それから一体どれ程時が経ったのだろうか、妙は来なかった。
 彼女の一味である他の誰の気配をも、銀時は感じなかった。
 地下の空気はひやりと湿っており、また静かだ。

 

 

 

 この静寂から見るに、どうやら逃亡は成功したらしい。

 この機を逃すか、と、片手に抱えていたいつもの衣装に着替え始める。幸い人の気配は周りに無い。女の姿だと少しブカブカだが、今の今まで来せられていたあのワケの分からんショッキングピンクのミニスカに比べれば数段マシである。裾も引き摺りそうだな〜とブツブツ呟きながら、少し腰元で服をたくし上げベルトで止め丈を調整。
 銀時は溜息を吐き出し、ここから脱出し地上に戻ろうと、来た階段の段差に足をかける。

 その瞬間人の密やかな話し声が地下の石壁に反響し銀時の耳に届いたので、銀時はドキッとして反射的にまた車の影に隠れた。しゃがみ込んで、片目だけをそっと車の影から覗かせ外の様子を伺った。
 誰かがこちらへ歩いてくる。鉄パイプやらを肩に抱え物騒な容貌の男達の集団、そして天人の姿も。合わせて十人弱、といったところか。どちらにせよヤバイ感じである。一般市民にしてはガラが悪すぎる。

「…それで、持ってきたか」
「おうよ。パーっと効くイイヤツ持って来たぜ」
「ククク、いつも悪いねぇ」
 下卑た笑いを漏らし、男達の一人が懐から取り出したのは見るからに怪しい白い粉。

 怪しい薬の売買。
 おそらくそれも非合法ドラッグの密売だろう。

(オイオイ…またアヤシイクスリかよ)
 坂本のアヤシイクスリの所為でただでさえとんだ目に合わされているのである。これ以上アヤシイクスリ云々には関わりたくない。

 それにしても、全く運が無いとしか言いようが無い。水をかけると女になりお湯をかけると男になるだの、こんなとんでもない体質に無理矢理された上に面白がった野次馬共に追い回され、命からがらやっと逃げられたと思えば、怪しい裏組織の麻薬密売の現場に居合わせてしまうなんて。

 怪しいドラッグ絡みといえば、更に嫌な思い出がある。転生郷だか何だかという非合法ドラッグで春雨と幹部とやりあった記憶だ。主に非合法薬物の売買で収入を得ているらしい銀河系最大規模の犯罪シンジケート、
 …これ以上今の状況で厄介ごとに巻き込まれるワケにはいかなかった。見付からずにそおっとこの場を抜け出すに限る、と銀時が背後の階段を振り返った瞬間、間近にある顔に銀時は息を呑んだ。

「コソコソとどんなネズミかと思えば、こんな可愛いネズミちゃんだとはねェ…ククク」
「…っ!!」

 背後でずっと銀時を見張っていたらしく、天人が至近距離でニヤニヤと笑っている。思わず飛び退いた銀時のブーツがカツン、と大きな音を出して地下に響き渡った。
「誰だ?!」男達が振り返り、銀時の目の前の天人がケラケラと笑う。
「なぁに、カワイイネズミちゃんです。コソコソ車の影から盗み見してたみたいで」
「女スパイか!どこのモンだ!!サツか!」
「どこのモンって…アヤシイモンじゃねーよ。オタクらと違ってな」男達の怒号に、銀時は微妙な笑顔で答えた。
「どの道この場を見られたんじゃぁ逃がす訳にはいきませんね…どうします?」と天人が下卑た笑顔で聞くと、男の一人が答えた。「決まってんだろ。始末しろ」
 銀時が顔を引き攣らせて更に一歩後ずさる。
「や、そこを何とか逃がしてくれねーすかね、ホント僕ただの通行人Aなんで、なんか成り行きでこうなっちゃっただけなんで。チミ達の大好きな麻薬がどうなろうと僕知った事じゃないんで、ね?見逃してよ〜」
 片手に持っていた鉄パイプや金属バットを弄びつつ、男達はゆっくりと近づいてくる。銀時の笑みがヒクヒクと痙攣する。…すっかり囲まれている、階段へ続く唯一の退路もあのニヤニヤ笑っている天人によって塞がれている、対する銀時は車の影に隠れていたお陰で壁際に追い込まれており地の利は無いに等しい。
「…だよね〜やっぱムリだよね〜………」
「捕らえろォォォォ!!!」
 ワッと怒号をあげ一挙に殴りかかってくる男達、やるしかねぇと腹を括った銀時の徒手空拳がまずはドッと男の腹部へ、まずは一人。そして次、横嬲りの金属バットの一撃をしゃがんでかわすと脛を踵で蹴り上げもんどりうたせる、更にその金属バットを奪って背後から駆け寄ってきた男の頭部を容赦なく殴打。そして銃を撃とうとしていた男に目掛けバットを放り投げ見事に命中させ昏倒させると同時に横から飛んできた拳を受け流し腕をガシッと捕らえ、そのまま力の勢いを利用して背負い投げ、そして伸びた相手の顔をぎゅむっと思い切り踏ん付ける事も忘れない。
「んだこのアマ…ッ やけに強ェぞ!!」
「うるせー俺は女じゃねぇっ!!」
 叫んだ男に八つ当たり半分の踵割りを食らわし、更に股間まで蹴る。当然ながら男はギャアアアアと物凄い悲鳴をあげ床にもんどりうった。
「ああクソッ!やっぱ女の姿だと動きづれぇなオイ!」
 悪態を吐きながら蹴りで残っている男の横っ面を張り飛ばし、出口に向かって走り出す。売られた喧嘩は買う主義だが、何分この姿で、しかも朝からの大騒動で疲れきっているこの身体では暴れる気にもならない。この場から離れるのが先決である逃げるが勝ちだと舌を出しながら駐車場を脱出する…手前で、ゾクッと殺気を感じた銀時が咄嗟に地に伏せた。銀時の姿を見つけ階段を塞いでいたあの天人が、両刃の刀を横薙ぎにはらっていたのだ、銀時が頭を伏せなければ今頃頭部が胴体とさよならしていたに違いない。
「女性にしては随分と腕が立つようですが…逃がしませんよ」
「…ザンネン、俺は女の子じゃないんだよね〜悪いね〜」
 乾いた笑いで応え、先程コッソリくすねていた銃を男に向けた。刀と銃、距離もそこそこある。銃火器の扱いは余り好まないが、この距離なら外す事なく一発急所に当てるくらいの自信はあった。
 チャッと引き金にかける指を緊張させる。
「テメーの負けだ。殺されたくなかったらこのまま俺を見逃しな」
「さて、そうもいかないんですよねェ。私達春雨をなめて貰っちゃあ困る」
 その組織名を聞いて銀時はやっぱりなと舌打ちをするが、余計な事は喋らないに限る。
「…春雨だか何だかしらねーが見逃せっつってんだよ。ここで俺なんかに殺されちゃあ、おクニのおかーさんおとーさんが泣くぜ?」
「残念ですねぇ、どうやら殺されるのは私ではなくあなたの方みたいだ」
「あ?ナマイキ言ってんじゃねー…ぐあっ!!」
 背後から銀時を襲った強烈な一撃によって、銀時の身体が前に吹っ飛ばされる。
「おうおういけねーなぁ…どうにも騒がしいと思ったら、たかが女一人に振り回されてるなんざ、オタクら春雨の名が泣くぜぇ?」
「あなた達の部下が不甲斐ないからですよ。ホラ、あそこで全員伸びてるでしょ。女性一人の気配にも気づけずに取引開始しちゃったりするから」
「俺の部下をバカにすんじゃねぇ!いいか、ここら一帯の店はこの俺様が取り仕切ってんだ。俺の承諾がなければテメーらはここでヤクを売り捌く事は愚か顔を見せる事すら出来ねェんだぞ、分かってんのか!!」
「……おっしゃる通りです」
 床に這い蹲り痛みを必死に堪えている銀時を他所に、言い争いは続けられている。
 …増援らしい。天人と対峙した大柄の男の背後には、またもやガラの悪いアンちゃんたちがぞろぞろと控えている。そしてこのボスらしい大柄の男に背後から今銀時は殴られたという訳か。
「ぐっ…」
 軋む背骨を叱咤し銀時が起き上がると、男が銀時の顔を見下ろし笑った。
「へぇ、姉ちゃん根性あんな。…で?ヤクの取引盗み見してたらしいが一体何が目的だ?」
「別に見たくて見たワケじゃねー、成り行きだ。あと言っとくがな、俺ァ姉ちゃんじゃねぇ、ワケあって今こんな姿だがイケメンだ」
「面白ェ冗談だ。…イイカラダしてんじゃねぇか、肝っ玉も据わってるし、どうだ姉ちゃん。俺の女になるんなら命だけは見逃してやってもいいぜ」
 ───脱げ。たっぷり可愛がってやるよ
 嘗め回すような視線を感じ銀時は全身の毛をゾワゾワ逆立てながらヒキ笑い。
「…お、面白ェ冗談言ってんのはソッチだろ…」
「そうですよ。現場を見られた以上何としても生かすべきでは無い。只者ではないこの身のこなしを見なさい、今すぐ殺すべきだ」
 口を挟んだのは男と対峙している、春雨の関係者と名乗るあの天人。男がさっと顔色を変えて怒鳴る。
「うるせぇんだよ!!俺様に口ごたえする気かァああん?!」
「口ごたえではない。提言差し上げているだけです」
「それを口ごたえっつうんだよこのバカが!…決めたぜ。オタクらとの取引はもうシメーだ」
 天人の顔が険しいものになった。
「…何ですと?」
「テメーみたいなヤローにはほとほと愛想が尽きた。二度と面見せんじゃねぇ」
「我々春雨に歯向かうとでも?」
「なぁにが春雨だ、ここのシマァ代々俺の親父が取り仕切ってきたんだ。それを銀河系最大の犯罪シンジケートだかなんだか知らねーが調子乗りやがって」
 気に食わねぇんだよ
 男は天人に唾を吐きかけた。天人は静かに口を開く「…後悔するぞ」男は強気な嘲笑。「フン、負け犬が吠えるんじゃねぇ」
 天人は冷酷な表情で男に背を向け、一人立ち去った。

 と、ここで漸く男の視線が再度銀時に向けられた。銀時は口論が続いている間に何とか逃げ出そうとコソコソ後ずさっていたのである。
「オイ、女。これで邪魔はなくなった。たっぷり楽しませて貰うぜ」
 ニイ、と何とも下品な笑みである。ゾゾゾと鳥肌立ててなおも逃げようとする銀時、男の容赦ない拳が銀時を襲う。
「ぐっ…!!」
 顔の前で交差させた両腕で受け止めた、にも関わらず吹っ飛ばされる。人間とは思えない怪力である。壁際まで吹っ飛ばされて銀時は呻く。…拳を受け止めた両腕からはダラダラと血。
「っ、…おかしいねぇ、アンタそれ何?人間の力じゃねぇだろ…」
「その通り。全身に肉体強化改造施しててな…今ので全力の三分の一の力ってとこだ。全力出しちまったらそのカワイイお顔が木っ端微塵だからな」
 男が笑いながら近づいてくる。部下たちはニヤニヤしながら出口を塞いでいるだけだ。
 ───何か、刀の代わりになるものがあれば。クッと唸って傍らに落ちていた鉄パイプに手を伸ばす───「遅ェよ」

 ゴッ!!

 腹部に男の強烈な正拳が入った。う、と呻いて銀時は膝をつき、そのまま床に倒れる。
(やべぇ…)
 男の、男達の笑い声が随分遠く聞こえる。
 そして、意識が闇に落ちていくのを止められずに、銀時は気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 
 ガン、ガン、ガン…

 何の音だ。煩い。

 ケラケラ、ゲラゲラ

 煩ェっつってんだろ。

 ドク、ドク、ドク…

 全身…痛ェ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「…げほっ!!!」
 咳き込む。
「お、やっとお目覚めかい」
「はぁ、はぁっ、はぁ…………?!」
 水をかけられたらしい。ぽたぽた、髪が濡れて毛先を伝い睫毛からも水滴が落ちる。息苦しい。男達が笑っている。男達が銀時を見てゲラゲラと笑い転げている。先程の大柄の男と、その部下達だ。
(…何処だ、此処…!!)
 あれからどこかへ連れ込まれたらしい。
 見慣れない畳張りの古めかしい部屋に自分と、それからこの男達。男達は何がそんなに可笑しいのか大声で笑い続け、各々手に持った酒を呷り銀時の姿をじろじろと無遠慮に眺めている。
 唯一の光源である燭台の蝋燭がジジ、と揺らめいた。薄闇の中で段々と銀時の意識が覚醒してゆく。
「テメェ…」
「なかなか目ェ醒まさねぇモンだから、てっきり力の加減を間違えて殺しちまったかと思ったぜ。気分はどうだい姉ちゃん」
「ふざけんじゃね……っ!!」
 殴りかかろうとしてふと気付いた。両手が上に吊るされ動かない。見上げると両手首が鎖によって一纏めにされ戒められている。床に座り込んだ格好の儘動けぬ。「くそっ!」戒めを外そうと強く引っ張ってみても、鎖がジャラジャラと揺れ手首の薄い皮膚が擦れるだけだ。
「暴れても無駄だぜ」
「るせェ!今すぐ外せコレ!!ぶっ殺すぞ!!」
「口が悪ィな。だが気が強ェ女は好きだぜ、そういう女を相手にした時が一番燃えるんだ。…力で捻じ伏せてプライドをズタズタにしてやった時の絶望に満ち溢れた顔が、堪らなくそそる」
「〜〜〜〜っ、だから、俺は女じゃねェっつってんだろうがァァァ!話聞けやテメェ!」
 男は薄く笑って立ち上がり、銀時にゆっくりと近付いた。
「何を言いやがる。じゃあこれァ何だ?詰めモンか?」
「…!」
 銀時に近づいてその胸の形を確かめるようにつつつ、となぞる指。ぞわぞわ銀時の全身に鳥肌が浮かぶ。
「これのどこが男だと?…フフン、大人しくしてれば思う存分善がらせてやる。泣いて身悶えする程にな、皆で可愛がってやるよ」
「ん、…!!!」
 重ねられた男の唇に、銀時は思いっきり噛み付いた。ガリ、と物凄い音、男が悲鳴をあげて飛び退く。銀時が歯を立てたその唇からは血がつうと滲んでいた。
「こ…こんのアマァァ!!どいつもこいつも調子に乗りやがって!!」
「っう!!」
 男の平手打ちが銀時の横っ面を襲う。布きれを猿轡にし噛ませ銀時の言葉の自由さえも奪い更に目隠しで視界の自由すら失う。闇に閉ざされた世界の中で銀時は呻くが言葉にならない。ジャラジャラ、鎖が鳴る。
「ん!んー!!!」「助けも来ねェ。懇願しようにも言葉も出ねェ。…お望み通りいたぶってやるよ!!」
 見えない。何も見えない。項をそろりと撫でる感触にピクリと身体が震える。着ている黒の半袖、胸元のジッパーが音を立てて下げられる音。夜気に晒され暴かれる肌。

 

 

 

 

 

 その時、
      一陣の風が何処からか吹き抜け、蝋燭の火が消えた。

 

 

 闇。

 

 闇。

 

 

 

 

 

 …闇。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しん、と一瞬奇妙に静まり返った部屋の静寂を、男の笑い声が破る。「ハハハハ…誰だ、テメーは。お楽しみの最中に突然尋ねてくるとは、無粋にも程があんじゃねぇのか?」───それとも何だ、オメーも混じりてぇのか?ぎゃははは

 は、答えなかった。
 暗闇の中で奇妙な色の光がゲラゲラと狂ったように笑い転げる男を射抜いた。
 一瞬気圧されたように男の笑声が止む。
 低くうつくしい声が、夜に沈んでゆく。クク、と密やかな笑声。

 

 

 

 …地球産の猿共には同士討ちがお似合いだとよ。
 全く下っ端は辛いねェ。御遣い、尻拭い、処断…

 

 

 

 銀時の身体が小さく震えた。だが声は出ず視界は相変わらず闇に閉ざされ、…身体を戒める忌わしい鎖だけが鳴る。
 ジャラ ジャラ 

「…あ?何言ってんだテメェ、ボスが聞いてんだからしっかり答え…」 男の部下が、に近寄り詰問したその瞬間、闇を切り裂く銀色の閃光が煌いた。
 部下の言葉がぴたりと止まる、
 …そして残像を残し、ゆっくりと頭が胴体から落ちた。
 途端に噴き上がる血潮。ゴトリ、と床に落ち足元に転がってきた頭部を見た他の男達が悲鳴を上げる。頭領の男も漸く事の重大さに気づいたらしく、わなわな震えだす。

「な…テメェェェェェ!!!!よくも俺の部下を…」

 は一歩、また一歩と男に近づく。戦慄く部下の金切り声、に襲い掛かろうとした瞬間にその心臓から血潮が噴出した。そしてまた一人。また一人。また一人。また一人。
 声も無く屍は増えていく。屍の山を踏み越え血濡れた彼は銀色の刃を片手に弄びながら男に近づいてくる。

 

 

 

 災難だったな。噛み付く相手はよく選んだ方が好いぜ。
 少しは人の迷惑も考えて呉れよ。
手前の所為でこうして俺が出張る羽目になっちまった。
如何して呉れる?

 

 

 

 「テメェ春雨のモンか!よくも俺の部下をぉぉぉぉ!!!」
 もう容赦はしねぇ、木っ端微塵に吹き飛べェェェェ!!!
 獣のような咆哮を上げ人体を素手で軽く粉砕させる程の威力を持つその拳を全力でに向かって、

 だが当たらない。の姿は次の瞬間に跡形も無く消えうせている。

「は…?!どこ行きやがった!!」
 闇の中必死で目を凝らす男の背後から、くつくつと笑う声が。

 

 

 困るんだよ。
 御前のような屑に奴等の機嫌を損ねて貰っちゃァ。
 どちらも俺が残さず食べて遣るって云うのに、
どうしてそう死に急ぐんだ?

 

 

 

「テメッ…!!!」
 男の意識は彼の顔を認めない儘其の侭闇に堕ちた。
 ゴトリ、とまた何かが闇の底に落ちた音が響いた。それで終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂。

「…っ!」
 銀時が目隠しをされ布轡をされた身を捩る。鎖が鳴る。

 近くも遠くも無い距離から、声がする。

 

 つくづく、面白い事しかしねぇバカだな。見下げた奴だ

 

 聞き間違える筈が無かった。銀時が呻く。言葉は相変わらず出ない。其の姿を見る事は出来ない。手を伸ばす事も適わない。心中で叫ぶ。鎖が鳴る。

 酷ェ格好。雑魚にあっさりやられやがって このバカ

 バカじゃねぇ。バカはテメェだ。

煩ェクソ天パ

 会話が続いたかのような物言い、近づく気配に銀時はまたも呻いた。頬を冷たい温度が包む。


 ───分かるさ、御前の事なら何でも

 既に肌蹴させられ乱されている服装。つつ、と鎖骨を爪でなぞる感触。次に獣の如く肩口に噛みつかれ肢体はびくりと跳ねる。抵抗しようにも布轡の所為で言葉は発せない。呻き声しか出ない。目隠し布の所為で目が見えない。闇しか見えない。鎖の所為で身体は動かない。戒められ動かない。だから触れられない。この手を伸ばせない。
 ぴちゃ、わざと音を立てて首筋を舐められ震えた。
「…ん、んー…」ゆるゆると頭を振る。───どうにかなってしまいそうだ。

抵抗するなよ。
冷たいねェ、折角の二人きりの逢瀬だ。
誰も居ない誰も来ない誰も来れない…
懐かしいあの夜がまた来たんだぜ

 感じる体温。蠢く体温。

 …クク、嘘だよ。そう震えるな

 言葉は届かない。

「んん」

 呻き声しか出ない。

 夢に決まってんだろ

 目が見えない。

「ん…んん」

 闇しか見えない。

 此れァ夢だ

 身体は動かない。

「う」

 戒められ動かない。

 手前の目の前に俺が居る訳無ェだろ?

 だから触れられない。

「んう…ん!ン…」

 この手を伸ばせない。

 だって俺達ァ

 誰も来ない。

「ァう、…は…ん!!んん!」

 誰も来れない。

 

 

 

 

 

 本気で殺し合う仲なんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行くな…
 闇に響いたそれが誰の吐息であったかは銀時には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 




 銀ちゃん?

 

 

「…」
 目を開ける。神楽が顔を覗き込んでいる。目が合うと彼女は安堵したように微笑んだ。
「気がついたアルか」
「…」
「アラ、やっと目が醒めたみたいね。良かったわ〜」
「…」
 妙もニコニコ笑っている。自分は万事屋の布団に寝ている。見慣れた天井だ。隣で正座している新八が云う。
「もう、目ェ醒まさないからどうしようかと思いましたよホント」
「…」
 無言で銀時はムクッと上半身を起こして、頭をボリボリ掻いた。男の身体に戻っていた。手で顔を覆って、吐息を吐き出し言う。
「…何がどうなったんだっけ?思い出せない…」
「何言ってるんですか、夜明け方に自分でボーっと万事屋の前に佇んでたんでしょ。と思えば布団に倒れこんで目ェ閉じたまま動かなくなって、幾ら揺さぶっても起きないし、心配したんですよ皆」新八が答えた。
「…そうだっけ?」ボリボリボリ。髪を掻く。
「自分で家に帰ってきた癖に覚えてないアルか?さては夢でも見てたアルか、寝ぼけてたアルか」
「夢…」
 闇の残り香が目の前を一瞬横切る。
「夢遊病になったら大変よ〜コレ以上変人になってどうする気ですか銀さんたら、心配だわ〜」妙がさらっと酷い事を云っている。だが銀時は反論する事もなく視線を虚ろに動かした。
「───夢、な」
「もう、ちゃんと目ェかっ開いて現実を生きるアルヨマダオ。夢の世界に逃げ込んでどうするアルかマダオ」
 溜息を吐く神楽の顔をちらりと一瞥し、銀時はまたボスンと布団に横になった。
「んだとコノヤロー。オメーに云われたくねーよこの酢コンブ娘」
「んだとコノヤロー!やるかコノヤロー!」
「ハイハイ止めなさいって二人とも!!も〜まぁた喧嘩ですか!ったく…はぁ…。姉上、じゃあ銀さんも元気みたいだし帰りましょう」
「そうね。何か心配しちゃって損したわ」
「あ、アネゴ帰るアルか、じゃあ私途中まで見送りいくネ!」
 というワケで銀さん、夢遊病も大概にして下さいよ。じゃあまた明日。
 慇懃な新八がぺこりと一礼し、妙も失礼するわと踵を返し、神楽も二人に付いていく。
「おー、また明日な」
 玄関のドアが閉まる音がした。静寂が戻ってきた。

 

 

 

 

 

 銀時は暫く布団に寝た格好の儘天井を見つめていたが、むくりと突然起き上がると、其の儘浴室に消える。服を脱ぎ、裸になってシャワーの冷水を浴びた。身体に異変は無かった。
「…」
 馬鹿らしいと独りで一笑しお湯の蛇口を捻る。酷く汗を掻いていた。頭からざあざあざあとお湯を被っている内に、唇に浮かんでいた笑みが段々と消えていく。
 

 

 

 

 

 

此れァ夢だ

 ちゃんと目ェかっ開いて現実を生きるアルヨ

手前の目の前に俺が居る訳無ェだろ?

 夢の世界に逃げ込んでどうするアルか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…煩ェんだよオメーら」

 生暖かい雫が身体を伝っては排水溝に消えていく。
 だから銀時も、身体に纏わり付いた生暖かい感傷を生きるというその為だけに破り捨てていく。

 

 

 

 

 

(了)