確かに攘夷時代の高杉は「先生を奪った世界」への憎悪を持ってたかもしれないけど、同時にまたソレを理由に狂気の道を自ら歩もうとはしてなかったワケで。つかそんなん御前だけじゃないでしょ、他の二人だって必死に戦ってたのにね。
戦争終結後、その憎悪を選んだのは紛れも無く彼自身、刀も侍も一つのものに打ち込む姿がうつくしいのだとすれば彼はその憎悪故にうつくしい。

ベタすぎる。仇討ちなんざ。
だから私は彼の笑顔の裏に他の何かを見出そうとしている。

鬼さん、あなたは高杉をどう思っているの。それが知りたい。あの悪夢を予知夢として、妖刀の陰に彼の影がちらついていると知った時、どうして彼には会おうとしなかった。それは俺の役目ではないとでも思った?相容れない水と油。裏切り者はどっちだ。


バランスがとれるようになっているんだと思う。きっとあの白鬼が憎悪に転べば、隻眼はこんな風にならなかっただろうに。生贄はどっちだ。

 

 

それかアレだ、高杉に聞こえているのは獣の声、銀時に聞こえているのは先生の声なんだ。だから二人は違うんだ。幾ら先生を想っていても高杉には先生の声は聞こえていないんだ。パラドックスじゃないか、コレ。
「手前には聞こえねぇのか?」
御前こそ聞こえないのか?先生の声が…

 

未だに映画を引き摺っている恭ですどーも。

攘夷時代の高杉の目は死んでいない。現在の彼の目は死んでいる。

この違いは何だ。そこが解れば全部の謎が解ける気がする。
攘夷時代は鬼兵隊も護ろうとしてたんじゃないのか。この世界をブッ潰す事しかあの頃から考えていなかった、と言われても、じゃあ何であの頃の御前の目はあんなに真っ直ぐで。何故獣の呻きうんたらが出てくる?死んだ者を自分の中に取り込み内在化させるのは自然な心の営みだろうが、結局彼の耳に囁く死者の声は「自分の考える」死者の声なワケであって、決して彼ら自身の声ではないのに。獣が唆すんじゃない、自分という獣が呻いているだけだろ?という訳で何処までいっても独り善がり。それは他の二人も一緒だが。特に白髪の独り善がりっぷりは…

世界を憎んでいたのは三人共一緒のはず。だが桂は銀時がその憎悪に耐えているのを見て救われている。

何かこうしてみてみると桂→銀時なんだなぁって思うんだ。
下の映画感想でちょろっと書いた通り、あの十二訓だか何だかの春雨騒動・対駝駱戦で介抱された時の台詞はちょっとぐっと来た。アイツ本当銀時好きだな、紅桜以前でも「銀時、御前は俺と一緒に在るべきなのだ」みたいな言葉ばっか、つか銀時プロポーズされすぎ(笑)もっさんとかな!もうこりゃ妄想するしかねぇな!ww

とりあえず映画で銀時が見たあの悪夢。…というか、アレはやっぱり銀時にとっての悪夢なのだろうか。いつかやってくるであろう其の日…
銀時が高杉をどう思っているのかが作中では全く描かれていない。あの場で高杉を説得するべく動くのは桂でなければならない。銀時ならどうする?思想も大義も言い訳も詭弁も弄しない銀時、奴ならどうする。高杉を説得したりはしないだろうなぁ。「またテメーか。つくづくバカなヤローだぜ」とか言うのかもしれない。その場で刀を抜くのかもしれない。解らないし想像つかない。

原作で高杉と銀時の絡みって少ないんだよね。桂と高杉、桂と銀時は結構あるんだけど。何かお互い避けているようにも見えるんだ、銀時と高杉って。
桂は仲介者としての役割を背負っているのかもしれない。村塾時代でも先生に一番近かったのは桂でしょう?ちゃんと「考える」力がある彼ならではだと思う。銀時も高杉も、悪知恵働いても「考える」という能力においてはイマイチなような気がしてならない。暴走列車だからね(え)

お互いまだ直接は刀を交えていない。さあてどうなるのかな?本誌で早く出てこないかな。怖いけど見たい。つまりは怖いもの見たさ。

ふと思った。
攘夷戦争敗戦を通し、お登勢と出会い、そして再び誰かを何かを「護る」事で生きていこうという選択に行き着く事で、銀時は「破壊」と「憎悪」を克服したのではないだろうか。

攘夷時代の銀時っていわば矛盾した二つの感情に苦しめられていたんだと思う。「あの人を奪ったこの世界が憎い」「あの人を護れなかった自分が憎い」自分をも含めた世界への憎悪と破壊、そしてあの人の教え即ち、他人を「護る」事。
ただ他人を護っていただけなら、何も夜叉なんて名は付かなかったと思うんだ。鬼神を連想させるほど、軍神と畏れられるほどの暴れっぷりってきっと相当なもの。だからまだ攘夷時代の銀時には「憎悪」「破壊」の意思があったんだと思う。何だろう、銀時の像が霞む。この二面性は何だ?二律背反は?解らない。彼が見えなくなっていく。
でも戦争終結して、この憎悪の意思は高杉一人に引き継がれて。何でだろう。すごく…哀しい。

銀時は「護る」事で必死に人間になろうとしてるんだ。だから「破壊」と「憎悪」を捨てたんだ。…否、完璧には捨てきれてないんだと思う、だから必死に隠して否定して、闇の意思に囚われまいとしてるんだ。
屍の上にしか居場所が無かった鬼の子を、人間にしたのは紛れも無いあの人であり、あの人の教えであり。だから彼には他人が必要なんだ。護る事には他人が必要だから。彼が人間でいるには他人が必要だから。その意味で、銀時は完全に他者依存型の人間であると言える。
彼が己に「憎悪」「破壊」の意思を認めるって事は、自分が鬼である事を認める事になるのかも。人間でありたいともがき続ける鬼。本能とも言うべきそれらを頑なに否定して足掻く鬼。

平子ちゃんを見ていると拙宅の高杉を思い出す。
「全て終わった暁には…必ず戻ってきてくれますよね」
「俺が手前の代わりに全て壊した暁には…また俺の元に戻って来て呉れるんだろう?」

あーダメだ。今日は書けない。視界がブレる。掴んだ先から砂が零れる。思考がメチャクチャでまとまらない。今薄暗い村塾短編書いてるけど、ちっとも進まないし。
それもこれも映画銀魂が気になりすぎるせいです^^(無理矢理)

拍手連打あざーっす!あなたの優しさに助けられています。有難う!
何か「アレ更新しろー」とか要望ございましたらいつでも申し付け下さい〜

 

読んだ。泣けるわ、コレ。大和魂で生きた人なんだね、この方は。空知勉強してるんだな〜さすがだ。

留魂録とは吉田松陰の遺書の事である。半紙を四つ折にし、コヨリで綴じた冊子にしてある。普通遺書といえば、死を目前にした悲壮な想いを綴るものであるが、留魂録は松陰門下にあてた最終講義ともいうべき訓戒であり、恭しく格調高い語調で切々と訴えている。

飯田正伯から高杉晋作への手紙
「別紙留魂録を元書のまま差し送り候間御一覧成さるべく候。一言一句涙の種に相成り申し候。この書は極々に同志の人々でなければ決して他見は無用なり」
…銀魂で桂銀高が持ってるあの冊子はじゃあこの留魂録がモチーフなのか?門下生はこの留魂録をひそかに回覧し、それを書き写したとのこと。肌身離さず持っていたのかも。

「諸友に告ぐ」松陰が生徒に呼びかける文章に必ずつけた標題。生徒はあくまでも「弟子」ではなく、国を憂う同じ志を持った「友人」である、という彼の精神が滲み出ている。

「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という孟子の言葉を信念として動くも、結局処刑される事に。全ては自分の徳が薄かった故であり、誰を恨む事でもないと語る松陰。泣けます。

留魂録<第八章>現代訳引用
「私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい。」
…やっぱさ、彼は門下に自分の遺志が受け継がれていくことを望んだんだよね。た、高杉…史実の高杉は見事にその遺志を継いだワケだけど、銀魂の彼は…

留魂録<第十六章>原文引用
「心なることの種々かき置きぬ思ひ残せることなかりけり
 呼び出しの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな
 討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ
 愚かなる吾れをも友とめづ人はわが友をめでよ人々
 七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや
  十月二十六日黄昏書す    二十一回猛子」  
これが最後である。字が乱れている。しかしそれも仕方ない事である、死を目前にしているのだから。
最期の最期で、このような言を書き留められる者が他に居ようか。私たちの想像を絶する覚悟である。
これを見た塾生は果たして何を思ったのか。

本書の解説より抜粋
「松陰はかつて門下生の高杉晋作から、『男子の死すべきところは』と質問されたことがあった。それに大して明確な答をしないままだったが、江戸送りとなり、死に直面してはじめて悟るところがあった。松陰が高杉にそのことを教える大要次のような手紙を書いたのは、七月中旬である。『君は問う、男子の死ぬべきところはどこかと。私も昨年の冬投獄されていらいこのことを考えつづけてきたが、死についてついに発見した。死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切なのだ』」
「この松陰の死生観は、高杉晋作の生涯に重大な影響を与えたようである。昔風な武士の意地を通した”拙劣な死”を彼は嫌って、しばしば亡命をかさねた。神出鬼没といった奔放な生き方をつづけ、最後に命がけの大仕事をやりとげたのも、彼なりに松陰の教えを実行したことになるのだろう。」
…言葉が見つからん。

同じく引用
「松陰の弟子としてきっとこの仇を討たずにはおかないと、当時高杉新作は周布政之助にあてた手紙に書いている。それは高杉だけではない。すべての門下生が、幕府に対する敵意を燃え立たせたのである。」
…あ〜…史実もやっぱそうだったのね…

他、松陰史伝について(カギ括弧は引用内容)
・高杉は親に隠れて二キロ余りの夜道を通いわざわざ村塾まできていた。当時松陰は国事犯の身である。高杉の父親は松陰を危険視していた為、高杉は親に隠れてコソコソ通うしかなかったのである。引用「いずれにしても松陰は、国事犯として幽囚中の身である。それを承知で”危険な人物”について学ぶこと自体が、異様に緊張した雰囲気をかもし出したに違いない。松下村塾における師弟の関係が、尋常でない濃密なものをはらみ、強烈な感化力を持ったのは、松陰独自の教育者的資質に負うところも大きいだろうが、やはり村塾の特殊な環境にもよるのだといわなければなるまい。」

・天野清三郎という人物が居る。門下生の中で最も長寿だった人物である。彼の発言によると、松陰の風貌は「丈高からず、痩型であり、顔色は白っぽい。天然痘の痕があった」とのこと。性格については「怒った事は知らない。人に親切で、誰れにでもあっさりとしていて、丁寧な言葉使の人であった」ま、まんまじゃねぇすか、先生…orz
まるで聖人。それとも怒るのがヘタな人だったんだろうか。ぴったり銀魂の先生とあてはまりますね。空知やっぱ勉強してんだな、おまえ!

・引用「かつて松陰は間部要撃策をとがめられ荻で下獄したとき、自分から離れていく門下生たちをながめながら「吾が輩、皆に先駆けて『死んで見せたら』観感して起るものもあらん」と悲痛な文言を吐いたが、まさにその厳粛な演技を意識した言葉であろう。『留魂録』の冷静周到な達意の遺言は、それに対応するものだといってよいのかもしれない。処刑されて『死んで見せる』ことは、教師としてのア・プリオリな資質を備える松陰の、最後の垂訓であり、『留魂録』は松陰につづこうとする志士たちの聖書として作用した。安政五年、松下村塾に在籍した主要な顔ぶれ三十人を並べて調べると、明治まで生き残ったのは半数にしかすぎず、あとは割腹自殺八、陣没三、討死二、斬首一、獄死一といった殉難者たちだ。やはり衝撃的な事実である。」
聖域っすよ、バイブルっすよ、もう

やっぱり「全ては自分の不徳の致すところ。誰を恨む事でもない」と言われたところで、門下生たちが「あ、そうなんだ」と納得出来るワケがないんだよね。憎悪がこうして引き継がれていく。高杉たちが打倒幕府の意思を燃え上がらせたのも全然不思議な事じゃない。
怒るのがニガテな先生。他人を憎まない先生。いっその事「私の仇を討ってくれ」とかだったら、門下生の心もスッキリ晴れただろうに…モヤモヤしますね、ならばこの感情をどこに向ければいいのかと。
そこから白夜叉が誕生したりしたのかと思うとムラムラします(唐突)(今までの台無し)

皆さんも是非ご一読あれ。

留魂録冒頭
身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和
十月念五日    二十一回猛子