子供と遊んでいた。思わず無言で歩が止まった。
花をばらばらと散らしていた。風に乗って色とりどりの花が消えた。
遠い昔に散々聞かされた懐かしい童歌が聞こえる。
何の歌かはすっかり忘れたが、それを歌って教えた声だけが脳裏で…
「お、もうお帰りか。早いねぇ」
口ずさんでいた歌を遮り、ふ、と顔を向けて柔らかく微笑む白い顔が高杉を正気づかせまた苛立たせる。片手で器用にお手玉を放りながら、右手で木の枝を持ってちゃんばらごっこのお付き合いをご丁寧にも。わあと木の枝振り回して飛び掛ってくる男児三人を一人で相手にしているが、“鬼”ならばそれもいとも容易きことだろう。現に数日前には一人で夥しい数の天人の血を浴びていた。似つかわしくない。
滅茶苦茶に枝を振り回す男児の一人が手を休めて、不機嫌そうに立ち竦んでいる高杉にじろりと怪訝な眼を向ける。
「オマエ、だれ?こいつの知り合い?」
「こいつじゃねーよ銀時お兄ちゃんだってんだこのクソガキ」容赦なく拳骨をごつんとかます白髪、いでぇ!っと頭を抱えて男児一人が蹲った。
「ふざけんじゃね〜銀時!!いきなり人の頭殴るなよォ!!」
「だから、呼び捨てじゃなくて銀時お兄さんって呼べっつってんだろ。敬意が感じられん。やり直し」という台詞を吐く白髪に益々高杉は渋面になった。
記憶の奥底で、笑いながら駆け抜ける少年二人が高杉を苛む。…敬意が感じられない口の利き方をしていたのは誰の方だ。
「あの人な、怖いお兄さんね。チンスケお兄さんだから。ヤサシ〜イ銀時お兄さんとは違って物凄い怖い人だから。不用意に近寄っちゃダメだよ、特に女の子は近づいただけで孕ませられるからね」
傍らで大人しく花を摘んでいた女児二人組の内一人が、銀時兄ちゃんハラムってどういうこと、などと首を傾げた。白髪は本当に余計な事しか言わなかった。漸く高杉はゆっくりと踵を返した。銜えていた煙管から紫煙が立ち昇った。
「…帰るぞ」
「へーへー。わーりましたよチンスケお兄さん」
嘆息し立ち上がる白髪に、わらわらと子供たちが群がった。
「銀時兄ちゃん、また明日な!」
「おー、また明日な。オメーラもちゃんと家帰れよ。父ちゃん母ちゃんに心配かけんじゃねーぞ」
「夕方またココで待ってんからな!次こそおれの必殺剣でぼこぼこにしてやっから、絶対来いよ銀時!逃げたら絶交だかんな!」
「だから銀時お兄さんって呼べっつってんだろーがバカヤロー。オメーこそ次呼び捨てにしたら絶交だかんなクソガキ」
けらけら笑いながら男児たちは走り遠ざかる。ほうっと溜息をついて手を振り返した白髪の袖を引っ張ったのは、花を摘んでいた女児。おかっぱ頭を秋風に揺らし俯きながら、さっと白髪に彼岸花を差し出した。くれなゐが面食らったように瞬きを繰り返した。
「…くれんのか?」
こく、と頷くので白い手がそれをゆっくりと受け取ると、女児は慌てたかの如く後ろを向いて走り去った。呆気にとられている男の横で、もう一人の女児が囁く。
「花をね、銀時兄ちゃんにあげたかったんだって。兄ちゃんのおめめと一緒の綺麗な色だから、この花あげたかったんだって」
そして女児も後ずさりながら言う。
「あの子、口利けないの」
「…じゃあ、何で…」
「分かるよ、あの子の事なら何でも。大好きな一番の友達だから」
また明日ね、と微笑んで彼女も手を振り、そして大好きな親友の元へと、家族のもとへと帰るのだろう。
無言で高杉は歩き、その後ろを銀時が歩いた。頭上には夕焼け雲が鱗のように赤光の中散らばっていた。猛暑の名残は消え一転冷たい風が頬を打った。こうして季節は廻る。
───随分と、ガキ共に懐かれているようだが
ざああ、と北風が樹木を揺らした隙にふと高杉がそう漏らすと、銀時は曖昧に微笑した。…見ては居ない。ただ、背後の気配がそう物語っている。この男の事なら何でも分かる。
「…で、俺がお留守番した甲斐はあったのかな?尤も、その不機嫌な顔つきじゃあ事態は思わしくねーみたいだが」
「ほォ。分かっていた上でガキ共とあのお別れの御挨拶か」
また、明日ね。
銀時は黙って手元の彼岸花をくるくると回す。高杉は立ち止まって振り返った。くれなゐの眼が、同じ色の花をじっと見つめていた。
「明朝、発つ。此処に潜伏するのももう限界だ。もう嗅ぎ付けられているらしい」
と呟いた瞬間、高杉はもう既に抜刀して飛び出してきた黒い影を紫電一閃切り裂いている。囲まれている。鬼が爛々と炯眼を輝かせゆっくりと腰の白刃を引き抜いた。高杉が出張るまでも無かった。刃を鞘に戻し、男が投げ渡してきた彼岸花を眺める。その周りで、悲鳴と血飛沫とが白銀の刃に嬲られ艶やかに密やかに舞い散る。
化け物め、と高杉は眩暈を感じながら思ったのだ。噎せ返る鉄錆の香りだけが脳髄を麻痺させる脊髄を煩悶させる。
「ハイ、終わり。返して、その花」
「もう此処まで嗅ぎ付けている奴が此れ程居る。明朝、如何なっていると思う」
高杉の手から花を奪い返そうとしていた血に濡れた白い指が動きを止めた。
「…如何、とは?」
「例えば、夜叉の足跡嗅ぎ付けた大軍があの村へ押し掛ける。親交のあったあのガキ共が、夜叉の居場所を突き止めるべく拷問にかけられる」
「まさか」
「例えばの話だ。だが可能性は無きにしも非ず…手前もそう思ったんだろう?…そうまでされる価値が誰かさんには在る」
険しい表情を盗み見て高杉は笑った。酷く恍惚としていた。
…………………
戻ると真っ先に桂が「銀時は如何した」と訊くので、高杉は「忘れ物だとよ。先に行っててくれと宣いやがった」と上機嫌で答えた。それでもなお執拗く桂は納得が行かないらしく如何云う事だと煩く訊くので、高杉は喉の奥で笑いながら手の中の彼岸花をくるくると廻す。遣りたいように遣らせておけ、俺も手前も彼奴ももう子供じゃねェんだからよ…
茶褐色の眼がぎらぎらと高杉を睨んだ。ふ、と吐息だけで笑って高杉は三味線を弾き鳴らした。
…煩ェんだよ。俺に手前に何が出来る。
…………………
三味線を爪弾き遊んでいた。思わず無言で息が詰まった。
花をばらばらと散らしていた。風に乗って赤い花弁が消えた。
遠い昔に散々聞かされた懐かしい童歌が聞こえる。
何の歌かはすっかり忘れたが、それを歌って教えた声だけが脳裏で…
「よう。只今」
口ずさんでいた歌を遮り、ふ、と顔を向けて柔らかく微笑む返り血がこびり付いた白い顔が高杉を正気づかせまた苛立たせる。片手で器用に高杉の三味線を弄びながら、爪で枯れかけた彼岸花を持ってくるくる廻しご丁寧にも。此れ迄で五本の指に入る程酷い血濡れ方だが、“鬼”ならばそれも仕方の無いことだろう。現に数日前には独りで天人の大軍を相手にした。微笑は似つかわしくない。
無表情で立ち竦んでいる高杉がゆっくりと口を開いた。
「彼岸花の花言葉を知っているか」
「さぁ」
「別名は」
「知るか」
「俗信は?」
「だから知らねぇって」
「家に持って帰ると火事になるらしい」
「へぇ。良かったね無事で。ヅラも辰馬も鬼兵隊すらも残して俺の事待っててくれたんでしょ?こんな小屋に独りで…寂しかった?」といけしゃあしゃあ台詞を吐く白髪に益々高杉は渋面になった。
記憶の奥底で、笑いながら駆け抜ける少年少女たちが高杉を苛む。
「本隊が何処に行ったかも知らねーで、寒村一つ護る為に天人軍団皆殺しの旅に出ちまった馬鹿の為に仕方なくだ。俺は優しいからな」
「…知ってるよ」
オメーが優しいって事ぐらいよ。
白髪は本当に余計な事しか言わなかった。漸く高杉はゆっくりと踵を返した。銜えていた煙管から紫煙が立ち昇った。
「…本隊へ合流するぞ」
「へーへー。わーりましたよチンスケお兄さん」
嘆息し立ち上がる白髪の首もとに高杉は掴みかかった。
「ガキ共にお別れの挨拶は」
またも白髪は曖昧模糊として微笑。いつからこんな笑い方が癖になった、高杉は益々苛立つ。
「花ってのは好きな人にあげるモンらしいな。だから墓前にも花を供える」
「先月の向日葵もそういった御心遣いだったのか?好い迷惑だ」
「何が好い迷惑だよ。天邪鬼はテメーだろバカ、喜んでた癖に」
銀時は憤(むずか)る児を宥めるかのように慰めるかのように高杉の唇に自身の其れをそっと合わせた。
ひっそりと微笑しながら銀時の唇が離される。其の唇が言う。
「彼岸花ってのはよ〜く墓地で見かける花だが、アレ何でか知ってっか」
「…」
「ありゃあ有毒性だからな。墓地に植えりゃあ墓守になんのよ。墓を荒らす不埒な獣避けになるらしい」
「…自身も同じだ、とでも言いてーのか?」
「ハ?別に薀蓄御披露目したかっただけだけど。花が墓守たァ、粋じゃねーの」
「俺もいい事を教えて遣ろうか」
くれなゐが怪訝そうに瞬きを繰り返した。
「…何」
「彼岸花の別名は“死人花”もしくは“鬼花”」
高杉の手が銀髪を掻き分け白く滑らかな額を滑る。
「花言葉は、再会、諦め、悲しい思い出、思うは貴方一人、また会う日を楽しみに…」
「何で花言葉なんか知ってんの。乙女?」
「この間抱いたおんなに教わった」
「悪趣味…」
高杉は笑む。目の前の男が心底哀しいと感じた。
「今日はお疲れ様。…さっき散らした花弁、届くといいな?」
弔いには赤い花とでも教わったのか。御前が散らせるのは血の華だけだろうに、今回も又護れもしないで。
「高杉」声が震えている。抉っていた。だから高杉は笑っている。
「分かるさ、手前の事なら何でも」
また明日ね、と微笑んだあの子供らは、そして大好きな友達の元へと、家族のもとへと帰るのだろう。
無言で高杉は歩き、その後ろを銀時が歩いた。頭上には夕焼け雲が鱗のように赤光の中散らばっていた。猛暑の名残は消え一転冷たい風が頬を打った。こうして季節は廻るしかない。
男が弔いに赤い花を撒くようになったのは、この時からだった。
泣き喚けばいい、高杉が呟いても彼は見向きもしない。
そう、だから何も問題は無い。 20100917
恭 |