あんな美しい人は見た事がない。心底惚れた。初めての経験だった。確かに、今までにも女性に心惹かれた事は何度もあったが、今回ばかりは本気だ。
「…近藤さん、もう諦めな。ムリだ、あのおんなは」
「や、ムリじゃない!俺は諦めんぞ、絶対!運命なんだ、俺と彼女が出会ったのは!」
「ガードが固すぎる。その気が無いどころかアンタに興味すら持ってないぜ、アレは」
「や、俺は諦めんぞ、絶対!だから、興味を持ってもらう為にこうしてお妙さんのキャバに通いつめ、結婚資金を貯め、毎日会いに行き、ありとあらゆる努力をしている!」
「…毎日会いに行く、ってか、単にストーカーしてるだけだろ」
 土方が酒を呷る。すっかり酔いきった近藤が土方にずい、と顔を近づけた。
「それはそうと、トシ、お前にはコレは居ないのか?」
 そう言って小指をちょいちょいと突き出す。土方は眼を瞑って、今度は煙草に火を点けた。
「…んな暇ねぇ。興味もねぇ」
「最近根詰め過ぎだぞ、トシ。仕事熱心なのはいいが、人間必要なのは愛だ。愛する人だ。愛さえあれば世界は救われる!」
「意味わかんねーよ。…愛ねぇ」
 煙草をふぅっと吹かし、遠くを見つめる土方。
 近藤は、馬鹿笑いを止めて、土方を見た。『愛』というと何かと渋い顔をする土方。

 …誰を思い出しているのかは想像に難くない。
 亜麻色と、烏の濡羽色の対。
 自分も、昔からあの二人を見ているのが好きだった。…あんな終り方さえしなければ。

 気丈に振舞ってはいるが、根底ではまだ大きな傷となっているに違いない。近藤は眉根を寄せ、切なげに笑う。土方から眼を逸らし、手元の御猪口を弄びながら。
「なぁトシよ。誰でも幸せになる権利は持ってるってモンよ。恋は罪悪なんざ嘘っぱちだ。恋は人を幸せにする。…その証拠に、俺ァ、今、幸せだ」
「…」

 もっと欲張れ。もっと貪欲になってくれ。
 沢山大切なモノを作れ。世界は広いぞ、お前が思ってるよりもな。

 土方は、黙って酒を呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「お妙さーんんんんん!!」
「寄るんじゃねーよこの腐れゴリラァァァァ」
「ぐふぉあああああああ」

 グシャッドゴッばきばきばきぃぃぃぃぃぃ!!!

 …。血が止まらん。やべーかもコレ。アレ?目の前なんか霞んできた…
「…近藤さん、またこんな所で油売ってやがったのか。そろそろ任務の時間だぜ」
 うんざりとした顔で、土方が立っている。お迎えに来たらしい。
「油は売ってないぞ、トシ、お妙さんへの愛を売っていた」
「や、うまくねーから、ソレ。てか、病院行った方がいいぜ、その傷。全治二週間とみた」
 土方は溜息をつく。
「そんなになってもまだ愛だの何だの言うか。いいか、近藤さん、それは愛じゃねぇ。ただのドメスティックバイオレンスだ」
「いや、愛だ!」
「アンタのはそうだとしても、向こうがアンタに返すのはちげーだろ。嫌悪と憎しみと怒りからの暴力だろ」
「や、俺は諦めん!諦めませんからねーラビュラビュお妙さーんんんんん!!」
 叫んだ近藤に、しつけーわァァァァァと妙が志村道場の扉をブチ破って飛び蹴り。そしてバタンと扉を閉め帰ってゆく。
「…」
 ここまで大将がボロボロになっているのに、無感動なのは、矢張り、この大将が悪いと自覚しきっているからなのだろう、と土方は溜息を吐きつつ一人思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 最近、浮かない顔をしている。機敏で頭の回転が速い彼にしては、最近ぼーっとしている事が多い。
 飲みに誘った。すると開口一番この言葉。

「なぁ…どんな心地がする」
 愛ってのは。

 近藤は眼を丸くした。すると、慌てたように、気まずそうに視線を逸らして低く言う。
「…すまねぇ、忘れてくれ」
「…いや、悪いな。お前のクチからそんな言葉が聞けるとは思ってなかったモンだから」
 さては、いいおんなでも見つけたか。
 ワクワクと笑顔で身を乗り出す近藤に、土方は微妙な顔して無言で居る。否定が無い。という事は。
 近藤がぱああああっと笑顔を強め、土方の肩をツンツン突いた。
「ガハハハ、そうか〜とうとう出来たか〜!やーめでたいめでたい!そうならそうと早く言えよォ、このこの〜」
「ちげーよ。そんなんじゃねぇ」
「え、違うの?じゃあどういう事?」
「…」
 口下手な土方はまた黙り込んだ。深く考え込むような表情。眉根を寄せ、それは辛そうにも見える。
 沈黙する土方を見かね、近藤が口を開いた。
「───そうさなぁ、どんな心地、って聞かれてもなぁ。偏に幸せ、としか云い様がないな。お妙さんの事を考えただけで、胸がいっぱいになる。どつかれても半殺しにされても、それでも好きだ。大好きだ。その気持ちは変わりようがねぇし、これからもきっと変わらんだろう。毎日が明るくなった。明日が来るのが楽しみになった。絶対死にたくねぇって思うようになった。全部、お妙さんの御蔭だ」
 だから、ぶっちゃけた話、俺ァお妙さんが幸せになってくれりゃあそれでいいんだよ。俺は彼女に幸せを貰ってる。だからさ、見返りなんか求めてねぇんだよ。…そりゃ、お妙さんに好きな人が出来たらすんげーショックだし、俺ァ絶対ェにソイツを認めんだろうが、…彼女がそれで幸せになんなら仕方ねーかなって気もする。

「お前は違うのか?トシよ」
 土方を見る。土方は手にもったグラスを見つめている。
「…分からねぇ」
 武州を出る時は、アイツの時は、きっと俺もそうだった。だが、は…
 独り言のような小さな声。近藤は静かにその声に耳を傾けている。
「俺はきっと、あの得体の知れないの深淵に魅せられているだけなんだ。足元も何処も彼処も真暗。付いてっちゃあきっと戻れねぇ、んな事分かってる、百も承知なのに、」
 奴は寂しげな顔で笑う。そして奴は居なくなる。跡形も無く消える…俺の居ない所で、きっと…だから
「自分を見失いたくないか、トシ」
「…俺は」
「好きなのか、その人の事が」
「好き…とは違う。きっと愛でも無い。ならば」
 これは何だ。
「会いたいと思うか」
「…」
「顔が見たい、と思うか」
「…」
 そこで初めて、土方が戸惑ったように目線を下に向け。まるで困りきった子供のようだ。
 …肯定か。長年の付き合いを馬鹿にして貰っちゃあ困るぜ、トシよ。近藤は微笑む。

「よし、今日は潰れるまで飲むぜ、お祝いだお祝い」
「…何のだよ」
「さぁてな。よし、おやっさん、酒あるだけ持ってこい!オラァァァ近藤勲、お妙さんへの愛を込めて、脱ぎます!」
「止めろって、ココ宴会場じゃねぇから、猥褻物陳列罪で逮捕モンだぜ、ソレは」
「いいんだよ、今日は無礼講決定!お妙さぁぁぁん、俺やります!脱ぎます!」
「何でもかんでもそのお妙さんとやらにこじつけるのは止めとけって…ったく、大将よォ」
 そういう土方の顔は苦笑まじりの笑顔。お、いい表情。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ちょっとちょっと、ゴリラさ〜ん?昨日の夜、飲み屋でお妙さ〜んって云いながら裸踊りして、大騒ぎになったらしいわね。武装警察真選組局長がまさかの愚行、街で噂になって、私の耳にもこうして届いてきましたよ、ウフフ、誤解招いたらどうしてくれんだこのタコスケ」
「え、ちょ、ちょ…何で薙刀持って…ぐぎゃあああああ!!」
「二度と使いモンにならなくしてあげますね、肛門を」
 青天に舞い上がる血飛沫。近藤の断末魔が響き渡る。

 

 迎えに来た土方。溜息交じりに紫煙吐き出し。
 はぁ。…またやられたワケか。懲りないねェ
「ト、…トシ、頼む、お尻拭いて、血が垂れて…」
「俺はおかーさんか。自分のケツは自分で拭け。愛なんだろ?」
「や、死んじゃうってコレ…救急車呼んで…」
 土方の目が、蹲っている近藤を素通り、志村道場の縁側へと向けられた。
 …悪ィ、先帰っててくれ
 そう言い、ふい、と通り過ぎて。ケツ血塗れの近藤を置き去りに。
「や…ムリっしょ、先帰っててとか…だから、動けないんだってば、トシ」
 土方は聞いていない。そのままツカツカ縁側に歩み寄った。視線の先には、眼鏡をかけた少年と、寝転んで耳をほじっている白髪。白髪は眼を瞑ってうとうとしていたらしいが、土方によって日光を遮られた事によって、眠そうな眼を開ける。
「ん?…あー、誰かと思えばマヨ方さんか。早く引き取ってよあのゴリラ。血生臭くて適わん、昼寝出来ねーじゃん」
「…今度の月曜の夜。暇か」
「あ?」
 怪訝な顔をする。
「暇かって聞いてんだ。答えろ」
「……や、急な仕事が無ければ暇ですけど、それが何か」
「空けておけ。いつもの飲み屋で待ってる」
 はぁ?聞き返す白髪を無視して、土方は背を向けまた歩き出す。喚く近藤を無視して、そのままパトカーに乗り込み発車、あっという間に見えなくなった。
「トシィィィィィ!!俺の事忘れてるからァァァァ!!」
 グスグス泣き出す近藤に、また魔の手が忍び寄る。
「ホント、うるさいゴリラさんね〜。肛門血だらけにされただけじゃ足りないっていうんなら、ミンチにして差し上げましょうか?」
「お妙さん、その手に持ってる包丁は何ですか、ちょ、ぎゃああああああああ!!」

 

 血飛沫飛び交う凄惨な光景にも素知らぬ顔で、銀時は相変わらず寝ッ転がっている。
 傍らに座っている新八が声を上げた。
「…さっきの土方さんの言葉、何だったんですか」
「知るか。ワケ分からん奴」
「アンタ、また変な事したんじゃないでしょーねー。取調べじゃないすか」
「それだったら普通屯所に呼び出すだろ。何で飲み屋?」
「ていうか、いつもの飲み屋って。結構会ってんですか?」
「…結構っつか、たまにだけどな。アイツ忙しいみたいだし」
「ふぅん、そうなんですか。…んで、ちゃんと行ってあげるんでしょ?」
「やぁだよ。だって何か、凄いヤな予感する。こういう時の俺の勘って、すんげーよく当たるんだよね。滅茶苦茶ヤな予感。ホンット嫌な予感。だから行かねーわ。あ、コレ内緒ね、本人に言ったらまたうるさそーだし」
「や、言わないとあの人待ちぼうけになるじゃないですか、可哀想でしょ、それはさすがに」
「だって面倒だもん、俺ァ絶対いかねー、お前土方にチクったらマジ許さねーからな、誰にも言うなよ」
「自堕落すぎるだろォォォォ!!前々から分かってたけど、アンタ最低だな!」
「そりゃどーも。だから向いてねーんだよね、彼みたいな人種には」

 

 

 

 

 

 

 

 

君は野に咲くあざみの花よ 見ればやさしや寄れば刺す