ある夜の事だった…。
「ひぎゃああああああ!!!」
「まだ何も話してねぇよ」
蝋燭で顔だけを照らしている高杉である。今宵は朔夜、月が出ないとなれば辺りは一面の夕闇。ちりーん、と不気味に風鈴の音が鳴る。
怪談をしようと集まったのである。
蒸し暑く寝苦しい夜が続く夏、残暑とはいえ秋の息吹は未だに感じられない。昼間は皆でちゃんばらをして、西瓜を食べて。夕方になると松陽が所用で「少し出かけてきます、家から一歩も出ちゃいけませんよ、夜遅いんだから。私が居ない時にお迎えが来たら帰んなさいね。お母様達によろしく。」と言って慌しく外へ出た。何でも、少し離れた所の城下町に急な用事で呼ばれたらしい。何の用事だかは知らないがさすがだ、と博識な先生を尊敬する高杉である。とりあえず先生のことなら何でも関心する高杉である。
一方の銀時はといえば、大人が居ない、この場に残っている子供は今や自分たち三人、やりたい放題のチャンスだとしか考えていない。
とりあえず銀時は松陽がこっそり隠している甘菓子を目敏く見つけぺろりと平らげたので高杉がテメェと怒り、桂は二人を呆れ顔で見ながら二人が暴れた後を掃除して参っている。
調子に乗る銀時を何とかせねばと高杉が考えた結果が今の状況。好き勝手に家を荒して回る銀時を黙らすにはコレしかない、といって三人で一番広くて暗い客間に集まって蝋燭一本だけの明かりでこの状況。とりあえず高杉が何も話していない時点から震え上がった銀時は怖い話が苦手らしい。
「はん、なに、お前怖い話ニガテなワケ?超だっせー」
「なななんだとこのやろーニガテじゃねぇし!むしろ好きだし!」
「銀時、素直になった方がいいぞ。コイツは人の弱みを見つけるとしつこく攻撃してくるからな。嫌な奴だから」
「ヅラ、テメェ後で覚えてろよ」
「ヅラじゃない、桂だ」
ゴホン、と咳払いをして高杉は低い声でボソボソと喋り始めた。
…そう、ある夜の事だった…
男は自分の親父さんが危篤だとかで、外に出る用事があったらしい。外に出ると、妙に生暖かい風が頬を撫でていく。
…嫌な予感がした。だが行かない訳にはいかなかった。そして、暮れの頃に家を出た…血の様な真っ赤な夕焼け空が男を見ていた…男は身震いしつつも走り出した…
「……」銀時は黙って体育すわりのまま高杉の顔を恐々と見つめている。
そうしてどれ位走り続けていただろうか。気が付くと、足元がべちゃべちゃしている。見ると、それは人の肉片だった。それも、人間のだ…。
横を見ると、人の屍骸が累々と道端に無残にも転がっていた。天人たちと侍の戦場跡に違いなかった。
散乱しぐずぐずに腐乱する死体。カラスがガアガアと泣き喚いている。そうして死体を食っている。辺りは夕闇が落ちてきた。昏い血染めの空が男をじっと見下ろしている。
男は途端に怖くなってきて、また走り出そうとした。
「……」銀時の顔が引き攣ったまま固まっている。
───その時だ。男の耳に、がつがつと何かを食らう音が…
「ちょ、止めよ。止めよマジで」途端にガタッと立ち上がってぐるぐる部屋を回りだす銀時である。高杉はニヤニヤしている。
「んだよ天パ。もしかして怖気付いたのか?」
「は?んなワケねーし!」
「出て行くなら今の内だぞ銀時」と冷静な桂。
「よし、ヅラがそこまで言うなら、俺全然怖くねーけど、ちょっくら外出てしょーよー迎えに行ってくるわ」どう考えても銀時のウソである。桂の助言に従いたいだけである。
「先生何処行ったか知ってんのかよバカ」と高杉。
「そうだぞ、無闇に外に出てはいかんと先生も言っていたではないか。辺りをうろつくならともかく、遠出は危険だ」桂。
「…」銀時は黙り込む。更に高杉はニヤニヤしながら追い討ちをかける。
「なぁ知ってるか銀時ィ、こういう話してるとな、集まってくるらしいぜ…幽霊やら魑魅魍魎が」
桂にがばりと後ろから抱きつく銀時である。
「ヅラ、俺の一生のお願い。一緒に外行こ」
桂が答える前にまたも高杉、「外見てみろ、どっかの話みたく血みたいな夕焼け空だぜ。こんな時に外に出たら…あの男と同じ目に合うやも…」「やめろおおおおお」
高杉は今にも泣きそうな銀時の顔を見てげらげらと笑っている。今に始まった事ではないが、どうにも性格が悪い。
その時、「御免下さい、」と表から女の声がする。桂が黙って立ち上がった。
「母上が迎えに来て呉れたようだ。俺は此れで失礼するぞ、バイビー」
むかつく挨拶である。高杉はさっさと帰りやがれ、つまらなそうに言い、銀時は桂に追いすがる。
「ヅラ帰んのかよ!おれを置いてくなって、こーんな奴と二人っきりなんか耐えられない!」
「はいはい、いいから銀時くんは俺と怪談続けような。大好きなんだろ?怖い話」銀時の首根っこをがしっと腕でホールドし逃げられなくする高杉である。やっぱり性格が悪い。
「うるせ〜俺とヅラの仲をジャマするんじゃねぇバカスギ!」
「バカスギじゃねぇって何回言えばわかんだこのクソ天パ!」
「クソ天パじゃねぇ!銀時だっつってんだろこのバカスギチンスケ!」
「はあああ?!?!ざけんじゃねぇアホの坂田チントキ!」
「誰がチントキだァァァァァこのチンスケ!!」
「るせーチントキ!」
「るせーチンスケ!」
不毛な言い争いを始めたチントキとチンスケをさて置いて、桂はコッソリと部屋を抜け出し母親の元へと歩き出す。二人に関わっていてはキリが無いのである。
そしてそのまま高杉とギャアギャアと喚いていた銀時がふと顔をあげて見ると案の定桂はそこにはもう居ない。既に帰宅しているのである。
「あああああ!!ヅラのヤロー裏切りやがった!!」
「フン、ざまーみろ。友情なんてのは所詮そういうモンなんだよバーカ」
舌を出して嘲笑う高杉に銀時が掴みかかろうとしたその時、またもや表から女の声が。
「あ、来やがった」
高杉の母親である。お迎えに来たのだ。
「じゃあな天パ。俺ァ帰るぜ」
がしっと高杉の両手を掴む銀時。
「いだだだだだ!!ちょ、離せ馬鹿ヂカラ!!手がもげる!!」
「え、帰んの?帰っちゃうの?おれ一人置いて帰る気してんの?」
「迎えが来たからな、帰るに決まってんだろ…ってかマジ離せって、痛ェよもげるからマジで!!」
「え、帰んの?帰っちゃうの?おれ一人置いて帰る気してんの?」
「だから帰るっつってんだろ!話聞けや!!」
…と、ここで、高杉の表情がピクリと変わる。ピーンと来たのである。
「ははーん、さては…」
ずい、銀時に顔を近づけて。
…テメー、怖いんだろ。
「は、はぁぁぁぁ?!なワケねーし!全然怖くなんかないし!」
「さっきの俺のハナシにビビってんだろ」
「は、はぁぁぁぁ?!なワケねーし!全然怖くなんかないし!」
「まだ先生も帰ってきてねぇ時分、一人でココにお留守番が堪らなくこえーんだろ」
「は、はぁぁぁぁ?!なワケねーし!全然怖くなんかないし!」
「さっきから同じ台詞しか言ってねーんだけど、どんだけ怖がってんだよ」
いつも生意気な銀時が慌てている様子は、高杉を楽しませる事この上なかった。
「まぁそう言われてもねぇ。俺帰んなきゃなんないしねぇ」
「行くなよぉぉぉぉおれを置いて行くなよぉぉぉぉ」
「ムリな相談だよねぇ。もうお迎えも来てんだしねぇ」
「何でもする!何でもするから!!頼むよぉぉぉぉ」
この、「何でもする」発言でニヤリと笑った高杉である。チャンスであった。
「ほ〜。じゃあお前、俺の言う事何でも聞けよ。なら泊まってやってもいいぜ」
「マジでかァァァ!!頼むよホント」
「仕方ねーな。ちゃんと言う事聞けよ。コレで貸し一個だかんな」
安堵したらしい銀時、高杉は表に出て母親に御願いをする。かなり渋られたが結局許して貰う事に成功した。何だかんだで甘やかされて育っている末っ子ボンボン高杉である。
というワケで村塾には、現在銀時と高杉の二人っきりである。
***
この村塾で先生と一緒に暮らしている銀時が食料の在り処を知っている。ゴソゴソ戸棚を漁って目ぼしいものを探している小さな身体を、後ろから高杉は見つめている。
(そういえば、コイツ親いねーのかな)
門下生の中でも先生と暮らしているのは銀時一人である。
先生が引き取った、と風の噂で聞いた。こんなちゃらんぽらんな奴でも、親なし身寄りなしの身であれば、相当辛い目に合ってきたのかもしれない。
思えば、この村塾に初めて来た時も酷かったではないか。同年代とは思えぬほど乏しい語彙力、コミュニケーション力…つまり、意思疎通すら満足に出来ない有様であったのだ。その上いつも刀を抱え、無表情でどこか遠くを見ている瞳はガラス玉のようであり、そして白髪赤目という風貌は高杉に何か得体の知れぬ不安を齎すに十分なほど奇異であった。
その違和感も、時を経るにつれ薄くなっていってしまったのだが。今では違和感など皆無である。それは、きっと、この銀時の成長に起因している。喜怒哀楽を身体全てで表現し、軽口も叩くようになった。それは目覚しい進歩であった。
「あ、食いかけのアンコロ餅発見。コレ俺んのだからな、ぜってーやんないから」
「…そんな腹壊しそうなモン食わねぇよバカ」
「しょーよーも意外とだらしないよな。俺にいっつも説教たれる癖によ〜」
「先生を付けろって言ってんだろ、松陽先生だ松陽先生!呼び捨てにすんじゃねぇ!」
軽口を叩きながら夕飯を適当に済ませ(主に松陽が戸棚に隠してある煎餅やらの菓子の一群を貪り食っただけである)、暫しぎゃあぎゃあ飛んだり跳ねたり、それも疲れて一段落すれば、真暗な夜闇がじりじりと迫ってきていた。
電球などという、昼夜問わず火も使わずに煌々と辺りを明るく照らす便利な道具が天人によって齎されたそうな。だが其れもこんな辺鄙な村の中ではある筈も無く、仕方なく二人は行灯に火を点す。
不気味な光だ。ぼんやりと燈るその光に、二人の白い顔が照らされた。高杉はけろりとしていたものの、白髪の方は何だかぎょっとして、びくりと肩を震わしこう言う。「…そ、そろそろさ、布団敷いて寝よーぜ」完璧にビビっている銀時に、高杉は呆れ顔だ。
…確かに、デカイ口だけ育ったが、何とも、まぁ。
***
夜は早く寝るに限る。暗いし暴れまわる事も出来ない。
「んじゃ、おやすみな」という高杉は、何を隠そう松陽の布団で寝ている。客用の布団がどこかにあるはずだが、探すのも引っ張り出すのも億劫だったのだ。憧れの先生の布団で寝てる高杉である。
今宵は、朔の日、月が無ければ真の闇。行灯を一応枕の近くに置いているもののそれでも暗い。
ごろ、寝返りを打つと暗闇の中で然程遠くない距離から大きい紅眼がじっと高杉を見ていた。
「…なんだよ」
「べ、べつに」
「どもってんぞ」
「べべべつに」
「寝よって言ったのはてめーだぞ」
「寝る寝る。言われなくても寝るし!」
何だか挙動不審である。
溜息を吐いて高杉が眼を瞑り、うとうとと眠りの船を漕ぎ始めたあたりで今度はもぞもぞと何かが布団の中に入ってくる気配がしたのでしょぼしょぼ霞む両目を叱咤し眼を開けると、何と奴は高杉の布団の中にちゃっかり入り込んでいるのである。枕までご丁寧に持ってきて、ぴとりと高杉にくっついた。ぎょっと眼を剥く。
「…何してやがる」
「え、起きたの」
「そりゃ誰かが自分の布団ん中に潜り込んできたらびっくりして起きるわ。…で、何してやがんだ」
「や、高杉寒そうだなーって思って」
「…真夏なんだけど。暑いんだけど」
「寝ながらガタガタ震えてたからさ、寒そうだなー風邪ひかれたら困るなーって気ィきかせてくっついてやったんだよ。ありがたく思えや」
「そうか。じゃあ今もう暑いからそっち行ってくんない。ジャマだから」
「え?まだ高杉くん震えてるよ?やっぱ寒いんでしょ、ウソよくないよ」
しらっと言い切る銀時に、とうとう高杉の両目が細められた。
「…お前さぁ…やっぱビビってんだろ」
「はぁぁぁ?!何言っちゃってんですか、おれが何にビビんなきゃなんないの、ホワッツ?」
「夕方にした怪談、アレ思い出してビビってんだろ」
「はぁぁぁ?!何言っちゃってんですか、おれが何でビビんなきゃなんないの、ホワッツ?」
「殴るぞてめー」
高杉は溜息。何だか、面倒かつ厄介な事になってしまった。
「こんのビビリ。いいから布団から出てけ、暑い」
「や、ビビってねーしマジでビビってなんかいねーし」と言いつつ腕にがしっとしがみついてきた銀時。非常に蒸暑い事この上ない。
「…あのなぁ…」あきれるより他無かった。 高杉は目を瞑りながらうんざりと答える。 「アレな、夕方にした怪談。アレ多分全部ウソだから大丈夫だって」
「…ほんと?」
「あの話さぁ、よく先生に会いに来る豆腐屋のおっちゃんが話してたヤツなんだけど。何でも人を食う子鬼がうんたらかんたら」
がつがつと屍肉を喰らう子鬼が戦場跡に出るという噂が… がばりと更に抱きついてくる身体がある。いい加減汗で枕が湿ってきた。 「…大丈夫だって。俺もさ、初め聞いた時は結構ビビったけど、先生が護ってくれるってよ。鬼ってのは人に化けては人を食う狡賢い魔物だそうだ、でも先生にかかりゃあきっとイチコロだぜ」
黙って銀時は布団に潜ってぴとりと高杉にくっついている。暑くないのだろうか、どちらにせよ無言でじっとしている。布団からはみ出ている目の前の銀髪一房を高杉は撫ぜた。
「実際、先生無事に帰ってきたからな。おっちゃんにせがまれて仕方なくその謂れの場所に行ったらしいんだが、けろって帰ってきたよ。……そうそう、そんで、鬼なんてどこにも居ませんでしたよーって笑う先生の後ろには」
この少年が。銀時が。刀を携え動物さながらの無色透明な瞳をした銀時が… 言葉は出なかった。 「…後ろには?」銀時がくぐもった声で催促する。何でもねぇ、と小さく呟く高杉の脳裏には、何かが引っ掛かっている。戦場跡から帰ってきた先生、すぐその後を付いて来た銀時。怪談を話したあの豆腐屋の男、彼は何と言っていた。その屍肉を喰らう鬼の容貌をどのように言及していた? 「何でもねぇじゃねーよ、え、何、先生の後ろに何かいたの、気になんだろうがコノヤロー、あ、言っとくけど俺コレ全然ビビってないからね、ホンットビビってるとかないけど、アレじゃん言いたい事言わないと身体にわるいかな〜って思って高杉のこと思いやってあげてるだけだからね、だから一思いに言っちゃった方がいいよホント 俺ビビったりとかホントないから」
「…どんだけビビってんだよ」
まさかな、と高杉は少し笑う。 こんな、ビビりまくりのヤツが。
ちょっとした怪談を話しただけでビビって人の布団に潜り込むようなヤツが、そんなまさか… 「え、だからいいから言えって、先生の後ろにナニ?なんか居たの?」
「なんもいねーよ。いいから寝ろ。ソッチ行け自分の布団戻れ」
「お、鬼って何だよ。やっぱ居たのか、本当に居るのか」
「あの豆腐屋のおっちゃんも、いっつも大袈裟な人だからな。あんま真に受けるなって」
「もうその話はいいからァァァ!!だから先生の後ろには一体ナニが居たんだァァァ!!」
「……」
「…アレ、高杉クン?…もしかして、もう寝ちゃったとか?」
「……」
「…オイ、返事しろ」
「……」
「返事しろって!黙ってんじゃねーぞ!!」
「…ぐー」
「ぐーじゃねぇから!ホント頼むよォォォォォ!!!返事してくれよォォォォ俺を置いて寝るなよぉぉぉぉ!!!!」
意識の水面を静かに滑る眠りの船を漕ぎながら、高杉は考える。 鬼、など居る筈が無い。死肉を喰らったのは鬼ではなく烏だろう。そう、人に化けて人を喰らう魔物などが居る訳は無い。
居たとしても護ってくれる。あの人が、きっと護ってくれる。何にも心配は要らない。魔物がこないように、あの人がきっと。あの人がそう言ったから。だから悪夢は見ない。 高杉は悪夢を見ない。
20100906
恭
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