(ええいままよっ!!)


 右の道に曲がった!!…とその瞬間、ドンッと何かにぶつかり体が吹っ飛ぶ。強く尻餅をついた銀時が痛みに顔を顰めていると、いきり立つ声がする。
「いっ…何しやがんだテメェ…!道を曲がる時ァ突進してくんじゃね…」
 はた、と止まる声。
 銀時が顔をあげるとそこには驚いた顔をしたあの男。まぁたテメーか…とげんなりしている暇は無い、ここで騒がれてはまずい、何としてもあの鬼女を振り切らなければならなかった。
「説明は後!とりあえず匿え!」そう吐き捨て銀時はさっと土方の後ろに隠れる。「…何?匿え?」土方は咄嗟の事で何がなんだか分からない様子でおろおろしていたが、超高速で妙が目の前に現れたのを見て銜えている煙草をポロッと落としそうになったのも堪え直立不動の体勢をとる。それもその筈、妙のいつもの笑顔の後ろにゴゴゴゴと禍々しい鬼神の姿が見えたからである。妙は土方の顔を見るなりピタッと走るのを止めてウフフと笑顔で言う。
「…アラ〜誰かと思えば土方さんじゃないですか〜こんな所でバッタリ会うなんて奇遇ね〜」
「…ああ…」土方も愛想笑いである。ただし若干その笑顔は引き攣ってさえいる。
「そうそう、ところで、ここに女の子が駆け込んでこなかったかしら〜?」
「……いや、俺は誰も見てないが」
「そう?ならいいんです、ご協力有難うございます、ではご機嫌よう〜」
 ウフフと笑って次の瞬間には妙の姿は風と共にもう消え失せている。またF1マシンの如く猛烈なスピードで走り去ったらしい。

 土方は額に浮かんだ冷や汗を拭い、ふぅっと息を一つ吐き出すと、
「───オイ、もういいぞ」
 するとその声を合図に、土方の後ろのドラム缶の横からのそりと姿を現す影がある。言わずもがな、女性の姿の儘の銀時である。顔だけ覗かせてきょろきょろしているが、まだしゃがみこんだ儘である。
「…はぁ…やっと振り切ったか…」
 顔が疲れきっていた。それもその筈、大逃走劇が何分長引きすぎたのである。女性になってしまえば身長が縮む、縮めば足も短くなる、つまり一歩の歩幅が狭くなる。幾ら走れども中々前に進まないように感じるのである。左右の可愛らしいツインテールを揺らしながら、コキコキ肩を回して溜息なぞ吐いている。
「立てるか?」と土方。屈み込み、真摯な顔で銀時に向かって手を伸ばす。

 ぎょっとしたのは銀時だ。

 いっつも顔を見合わせれば喧嘩喧嘩、その繰り返しである。悪態合戦である。小学生の喧嘩並みの低レベルでの悪態合戦である。イチャモンつけるしあーだのこーだのポップコーンヤローだの糖分ヤローだの白髪バカだのギャアギャア喚き挙句の果てにはタンバリン奏者の如く人の頭をパンパカ叩いてくる横暴極まりない男、それが土方十四郎である。(※これはあくまで銀時の主観の話であり、そして自分の事は棚に上げまくっている事を我々は忘れてはならない。)

 その男が。その男が。立てるか?とか何とか言って気遣いみたいなものチラチラ見せて真剣な顔してこっち見てやがる。いやいや、ナイナイナイ。これ夢?つか今考えてみるとアレだよね、何も言わずに匿ってくれるとかソコからしてもう奇跡じゃね?おかしくね?いつもの土方なら、俺の顔を見るなり「こんのド腐れ天パァァ!まぁたテメーか、今度こそ積年の怨みここで晴らしてやらァ!」とか行って胸倉掴んできてもぜーんぜんフシギじゃねーし、しかも「匿って」なんぞ頼み事すりゃあ絶対ニヤって笑って「ここに天パバカが居ますよォォォ!!!」とかデカい声張り上げて俺の居場所を周囲に知らしめるくらいの悪行は為すハズだ。最低なヤローだ。(※これはあくまで銀時の主観の話であり、そして自分の事は棚に上げまくっている事を我々は忘れてはならない。)

 銀時は気味の悪さに半ば呆然としつつもとりあえず差し出された土方の手を握った。すると、一気にぐっと引き上げられる身体、勢い余って銀時は土方の胸にぼすんっと飛び込む。平生よりも一回り二回りも小さい体、厚い胸板に顔をぶつけて銀時は「うわぶ」と呻きよろめいた。
「おっと、…すまん。いつもの癖で」
 …何が?何がいつもの癖?問おうとして怪訝な顔を上げ土方の顔を見上げる、…僅かに照れたように顔が赤く染まっている。え、何、キショク悪い。何、ホント何なのコイツ?
 と銀時が顔を引き攣らせたその瞬間、突然ハッと思い立った。ぷよんと銀時の巨乳が、密着しているせいで土方の身体に押し付けられているのである。
(…コレか?)
 土方の頬が心なしか赤いのはコレが原因か?坂本のバカが大絶賛したこの巨乳が原因か?と思い立った銀時。とすればクールだの二枚目なのにストイックとか言われて世間にキャーキャー言われてる鬼副長も所詮は俗世界に生きる一人のオトコなのだという事になる。

 まぁオトコなら誰でもおっぱいは好きだろう。これは仕方ない。

 銀時がふむふむ頷いていると、土方は顔を背け銀時の両肩を掴んで密着していた互いの身体をババッと引き離す。目線を合わせないところが実にウブである。こいつストイックとかじゃなくて単にウブなだけじゃねぇの、オクテなだけじゃねぇの、と銀時は半眼になる。

「いや、知ってるヤツにちょっと顔が似ててな…髪の色とか目の色とかも一緒だし、ついついソイツを相手にしている時みたいに力込めて引っ張っちまった。…痛む所は無ェか?」
 それが、矢鱈めったらと優しいのである。少し屈んで見合わせる瞳が鳥肌がたつ位に優しげなのである。
 銀時がヒク、と口元を痙攣させ一歩後ろに下がった。
 まぁ確かに今の銀時が例え毒々しいショッキングピンクの着物着ててツインテールで巨乳のおんなだとしても、それでも何か普通ピーンと来るものがあるだろう、顔とかちょっと丸みがついて心なしか目がデカくなって女性的な顔立ちになったとしても、根本は変わってないんだし。

(コイツ…俺だって事に気づいてねェ………)

 ニブチンである。どっからどー見てもニコチンニブチンである。
「俺は真選組副長の土方十四郎という。どっか痛むとかあったら連絡しろ。これが名刺」慇懃に名刺なぞ懐から取り出した土方の声を遮り、銀時が「あのさ…この着物、見て何か思う事ない?」と言って土方の眼前に差し出したのは、今まで銀時が妙から逃げながら片手に抱えていた、いつものあの衣装である。黒い半袖、白い着流し、黒スラックス、そして今穿いているブーツもいつも穿いているもの。矢張り女の足ではデカくガッポガッポ言うのも堪え頑張って一緒に逃げ果せたブーツである。
 主人公たるもの、毎日の衣装は統一すべしという妙な格言を掲げている銀時、コレなら土方は眼前のおんなが、眼前の自分が本当は誰なのか分かる筈。だが土方の返答は銀時の予想を遥かに上回り、それどころかジェット機でブウウウウンと頭上を飛び越えそこからロケットに乗り換え宇宙に到達し太陽の前でパーンと爆発する位の勢いであった。

「───いや、何も思い浮かばないが」

(え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!)
 ニブチンであった。どっからどー見てもニコチンニブチンであった。
(お前俺と会う時ドコ見てんだよォォォォ!!!何でコレでピンと来ねーんだよただのバカじゃねぇかァァァァ!!!)

 しかし。しかしである。
 …正体がバレてない、とくれば、やる事は一つであった。
 銀時のタカリスキル発動である。そして瞬時に猫撫で声。

「…あの、私喉渇いちゃったナ〜土方さんの家に行きたいカモ〜」
「…俺ァ今公務中だ。そもそも女が今日会ったばっかりの見知らぬ男の家にホイホイ行くもんじゃねェ」
「(女じゃねぇしィィィ!!しかもオメーとは今日会ったばっかりの仲でもねぇしィィィィ!!バーカァァァァ!!!)(内心叫びつつも土方にはニッコリ笑顔でモジモジする銀時)え〜でもパー子ォ、なんか土方さんの胸板に頭ぶつけちゃってぇ、頭クラクラする〜…あっ」
 猫撫で声を出してブリブリブリっこを演じていた銀時、ここで追い討ちとばかりにフラ…と倒れるフリ。すると予想通りガシッとそれを支える逞しい腕、…やっぱり土方である。
「オイ!大丈夫か!」
「…やん、ごめんなさい…急に立ち眩みしちゃって…土方さんが私の事匿ってくれたら元気になると思うんだけど〜」
 ぐ、と土方が渋い顔をする。やっぱり仕事人間としてはこの状況は困惑以外の何物でもないに違いない。
「…すぐそこに確か病院がある。おぶって連れてってやる」
「イヤイヤイヤ〜パー子病院嫌いなの〜。それにただの立ち眩みだから病院行くって程でもないしィ、ただ土方さんの部屋に行けば治ると思うの〜」
「何で俺の部屋なんだ…」困っている顔。それを見て銀時は内心ププププ困ってやんの困ってやんのバカじゃねバカじゃねコイツとゲラゲラ笑っているが、それを表面にはおくびにも出さない所がまた賢しい。
「だってね、それにパー子今あの怖いお姉さんに追っ掛けられてるの〜。確か、お妙さん…だったかナ?私が勤めてるキャバクラ店の先輩なんだけど〜、私があの人の上客を取ったって今凄いカンカンなの〜。それで私が邪魔だから、私を亡き者にしようと…どうして?私悪い事何もしてないのに…」
 ううっと泣き真似。そして全部ウソ。
「…そうなのか?」だがバカな土方クンは真摯に耳を傾けてくれているらしい。
「そうなの〜。でね、私の家、貧乏だから…妹が六人、弟が八人、お母さんは不治の病にかかって今病床に臥せってるわ、お父さんは無職のアル中で、私が稼ぎを持ってこないと酷く私を殴りつけるわ…借金も一千万あるの…毎日借金取りの怖いお兄さんが家の戸をゴンゴン叩いてるの…借金支払えないんなら、妹や弟たちを人身売買するって…だから私、本当はイヤだけど男の人たちに媚売って働かないと…あの店で働かないといけないのに、戻ったらお妙さんに殺されるに決まってる…稼ぎが無いと家にも帰れないし…もう私、どうしたらいいか…グスッ」
「そうだったのか…」何故か土方まで目元を押さえグスッと鼻を鳴らしている。
「やられたよ。俺の負けだ…薄汚れた心でたかがそのテの商売女風情がとお前を疑ってた俺の負けだ…その細い両肩に、そんな重荷を担いでたとはな…やられたよ、俺の完膚なきまでの負けだよグスッ」
 泣いているらしい。バカである。
 ここまで来たらあとは一押しである。銀時はウソ泣きの嗚咽、そして寂しげに踵を返した。
「ううん、いいの。私ったら、はしたない最低の女よね。全く関係無い土方さんの優しさに付け入ろうとして…ごめんなさい。もう私の事は忘れて」
「待て!待ってくれ!」
 ガシッと掴まれる腕、よっしゃァァァヒットじゃァァァと銀時は内心叫ぶ。
「…離して頂戴、もうこれ以上あなたに迷惑かけるワケにはいかないんです」
「ずっと…ってのはムリだが、今日泊まるトコくらいはせめて用意してやる!だから、…だから、一人で何でも背負おうとするんじゃねぇ。絶望に浸るんじゃねぇ。お前は一人なんかじゃねぇ…俺が居るだろうが」
「ひ、土方さん…」
「今日は自宅の方に泊めてやるから、よく今後の事について考えろ
。確かに家族を必死で護ろうとするお前の健気さには俺も感服する、…でも、でもな、女が自分の体売っちゃシメーだろ。もっと自分を大事にしろ。いいな?
「土方さんんんん!!!」
 ウソ泣きの涙を流して抱きつく銀時、これみよがしに今の自分の最大の武器であるおっぱいを土方に押し当て。「お、オイ!いきなり抱き付くな!」と慌てる土方の声を聞きつつ嗚咽の演技を続けつつ、土方には見えないように伏した顔は微笑している。
 かくして、これで人でなしの巣窟・万事屋に帰らずに済み、妙の触手から匿ってくれるパトロンも見付けた。
 …ちょろいもんである。

 


 

***

 

 

 

 そして土方の自宅。

 かぶき町から少し離れた所に位置している。「秘密だからな」とパトカーで案内された一軒家は幕臣の名に違わずデカイし綺麗である。
「ほぼ毎日屯所に寝泊りしてるからな…自宅とは言え全くここには来ない。来るのはオフの時、煩ェ屯所から離れて一人でのんびりしたいと思った時だけだな。…まぁ、中は週に二、三度雇った掃除婦が掃除してくれてるハズだから、最低限には綺麗だと思うが」
 要するに、宝の持ち腐れである。鍵を財布からゴソリと出すと、土方は鍵穴にそれを捻じ込み扉を開けた。
「今日一日だけだが、好きに使うといい。何か晩飯食いたいモンあるか?」
「え〜とねぇ、パー子ォ、松坂牛のステーキとぉ、お寿司とぉ、ピザとぉ、それからスイーツいっぱい食べたいな〜」
 またもやブリブリブリっ子である。だが流石に貯蓄のある高収入役人は違う。
「ああ、いつも大家族を養う為にご馳走なんざ食った事ねぇんだろ…よし、ここは俺が奮発してやる。出前でも何でも、好きなもの頼め」
「やん、ありがとお土方さん〜!」
 またもや抱き付く銀時。そしてやっぱり慌てる土方。
「〜〜っ!だから、急に抱き付くなっつってんだろ!」
「えーどうしてぇ?パー子、ただ土方さんに抱きついただけで何にも悪い事してないのに〜」
「や、そのだな…胸が……ゴホン、とにかく、若い男にホイホイ抱きついちゃダメだ」
 モゴモゴ言って顔を逸らし咳払いする土方。バイーンと当たる胸の感触を感じ慌てたに違いない。ぷくく男ってマジバカだね〜コイツバカだね〜おっぱい星人だね〜と笑いを堪えつつ、かつ自分の事も棚に上げつつ、銀時は調子に乗り純粋無垢ないたいけな少女を演じ続ける。
「なんでぇ?どうして抱きついちゃダメなの?」
「ダメったらダメだ。お前にその気が無くとも、勘違いする輩はいっぱい居るからな。もっと警戒心を持った方がいい」
 説教である。銀時はもう笑いを堪えるのに必死である。───コイツ、女の子にはいっつもこういう説教してんのかよ。バカじゃねーのバカじゃねーの、マジになってんじゃねぇよ、なァにが、もっと警戒心を持った方がいい、だよ…プクククククやべーマジ腹痛ェ…
 なおも土方の説教は続く。
「そもそもだなぁ…まぁキャバクラ勤めだと思えば仕方無いかもしれんが、その格好からして…」
 そういえば今の銀時の格好といえば胸元が大胆にあいたミニスカ着物である。しかもブーツを脱いだ今、生足である。露出過多な事この上ない。
 じろ、と説教モードになっていた土方が、銀時の格好を見てまた気まずげに目を逸らした。その様子を見てまた銀時が内心ウブなやっちゃの〜と笑うのである。

 確かにアレだ、今の状況は正常男子であればかなり切迫したものであるに違いない。
 誰も居ない自宅に二人っきり、外はもう暗い夜、対するは生足出して胸元露出させ更には巨乳の若い女。

「…俺ァそろそろ屯所に戻らないといけねェ。悪いがここで飯食ってる余裕が無ェ。早く戻らないと総悟…部下にも変に怪しまれるしな。まぁとりあえず何か色々晩飯買って来てやるから、ソコに居ろ」
 これ以上一緒に長居はイロイロ危険、っつかアレな空気になるよヤバイよ、みたいなカンジでハッと我に返ったか、土方が足早に踵を返す、その瞬間に銀時は逃すかァァァァとその腕に抱きついた。こんな面白い状況を楽しまないワケにはいかない。何にしてもこの土方の反応である。面白すぎる。鬼の副長のこんなオロオロする姿、ビデオに録画して沖田あたりに商談持ち込めば、きっと彼は大金出してこの面白秘蔵土方のビデオを買うに違いない。その位の面白さである。
「いかないで土方さん!パー子と一緒に居て!」
「…だーかーらァ!抱き付くなっつってんだろぉぉぉ!」
「一人はもうイヤなの!一緒に居てくれなきゃ、パー子、ここで死んでやる!」
「はァ?!何言ってんだテメー!」
「いつもパー子は一人だったわ…職場でも家でもどこにいても…だからもう一人になりたくないの!土方さんに一緒に居て欲しいの!」
「んな事言われたってなァ、俺には仕事が…!」
「お願い、今日だけでいいから…お願い…じゃないと私…」
 ここぞとばかりに、うるうる、と潤ませた大きな瞳で土方を見上げる。う、と土方が顔を強張らせる。

 自宅で自殺されても適わない、とでも思ったのだろう。まさか本気でやるとはさしもの土方も思っていないだろうが、何だかんだで心配性なこの男らしい反応だ。

 はぁ…と大きく嘆息すると、土方は諦めたように銀時の顔を直視した。
「ちょっと待ってろ」
 そして銀時からするりと離れ、扉の外に出て携帯電話を取り出す。誰に何を話すつもりなのか気になる銀時、イソイソと扉に耳を当てその地獄耳を澄ませた。
「……もしもし、近藤さんか?土方だが。…ああ、連絡が遅くなってすまねぇ。いや、ちょっと一悶着あってな…」
 そしてゴニョゴニョ口篭りながら申し訳無さそうに事の顛末を、銀髪の女の事を話す土方。
「…っつーワケでな、ホントにすまねぇが、今日の所は例外として認可してくれねぇか。放っといて自殺図られても困るだろ。……ああ、明日のミーティングには間に合うようにする。総悟には適当に誤魔化しておいてくれ。アイツにバレると一番厄介だ。…何?…分かった。じゃあな、頼むぜ、近藤さん」
 局長の近藤に連絡し終えたらしい。会話が途切れたのを銀時の地獄耳が捉え、銀時は慌てて扉から耳を離し何でもないフリをする。
「土方さん、電話で何話してたの?パー子放っとかれてさみしかった〜」
 そして床に体育座りでいじけるフリである。やっぱりブリブリブリっ子である。
「…局長に連絡をな。仕方無ェから、急遽非番って事にして貰った」
「え、一緒にいてくれるの?」
「オメーが駄々捏ねるからだろ。俺の部屋で若い女が自殺、なんて事件が報道されたらそれこそ真選組解体も辞さないような大変なスキャンダルになる」
「土方さん、ありがとお!」
 キャハッと笑いながらまたも抱き付く銀時である。何を隠そう抱きついて慌てる土方の反応が楽しすぎるのである。悪徳である。
「あのなぁ…だから抱き付くなって何度言ったら…」
「パー子、今日も暑かったから汗掻いちゃった。ご飯は後ででいいから、今はとにかくお風呂入りたいナ〜土方さん一緒に入ろ」
 はた、と間近でバッチリ合う目。
「…はぁ?」
「だから、一緒にお風呂入ろ」
「はァァァァ!?!?何言ってんだテメー、ダメに決まってんだろ!けしからん!」
「じゃあ、背中流してあげるから。それくらいならいいでしょ?パー子、土方さんの役に立ちたいの〜!」
「…」
 ぐ、と押し黙って土方は渋い顔をしていたが、やがて諦めたか自棄になったのか、「……まぁ、背中流す位だったら…好きにしろ」と低く呟き、風呂沸かしてくっからと微妙な顔で銀時の横を通り抜けた。
 作戦成功である。何だか益々面白くなりそうである。
 何にせよ土方の困った顔を見るのが堪らなく楽しい銀時なのである。滅多に見られないこのおろおろした様子、楽しすぎる。もう銀時の心はワクワクなのである。

 

 だが、この男はアレなのだ。いつも調子に乗って失敗する、そういう悪癖というかそういう運命の持ち主なのだ。
 今回もふと我に返って“風呂”というワードに、“風呂”という状況が何を示すかどういった状況が想定されるのかとか冷静に考えてみれば、この後の惨劇は免れただろうに。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 というワケで。

 風呂が沸けたらしい土方、今は居ない。銀時は広い居間でフワフワソファに腰掛けながらテレビを見ているところである。
 時計を見る。土方が風呂に入り始めてからもう十分は経った。そろそろ湯船から出て、身体を洗おうとしている最中だろう。
 そして、そこに、女性が…もとい、今の姿の銀時が現れたらどうするか。例えば、純白のバスタオルでかろうじて胸と局部を隠した程度の、過度に露出した姿で現れたら。
 背中を流すといったって、別に着替えなければならない謂れは無い。当然、土方は銀時が着衣した儘背中を流しに来ると思っている。だからこそ、土方は渋々背中流しを了承したのである。だがここで銀時が裸に近い状態で現れたならば。
(さぞや慌てるだろうな。飛び上がるだろうな。下手に近づいたらまたアレだし、身体掴んで無理やり押し戻そうとしたらポロリなんて事もあり得る、最悪、アイツの鼻血とか見れたりして)
 ニヤニヤ妄想する銀時。もう土方のこういう反応を想像してニタニタ笑うという事だけで色々とキケンであるというのに、当の本人はその事に全く気づいていない。会う度にイチャモンつけてくる土方へのたまりにたまった鬱憤を今日で一気に晴らそうとしている。

 よし、と決心すると着ている衣装を脱ぎ捨て、そっと脱衣所兼洗面所に忍び込み、勝手にバスタオルを拝借した。

 浴室からは、ザー、と、シャワーの音が聞こえる。

 幾ら女の身体だろうと、結局は自分の身体だし土方如きに見られようが見られまいがどうでもいい、それよりヤツが苦しめば。クックック、と奇妙な笑いを密やかにたてながらタオルで前を隠し、見えそで見えないくらいのカゲキな露出姿で浴室のドアをそっと開け、そして中へ入り、小さな風呂イスに腰掛けている土方の逞しい背中に抱きつこうと…「土方さ…!!!」

 と、何とその時、土方がザバァっと大きな桶に汲んだ大量のお湯を、勢いよく自分の身体にかけたのである。そして余りに勢いがよすぎた為、すぐ後ろで今にも抱きつこうとしていた銀時の頭に、思いっきりお湯がかかる。

 …お湯が、女の姿の銀時にかかったのである。
 何が起こったか、お分かりであろう。

 サァァァァァと血の気がひいていく音がする。銀時が顔面蒼白で頭の中パーン、真っ白け…という状況も彼は当然ながらそんな事は知らないからお構いなし、一拍遅れて土方が後ろの影に気づいたらしく振り向く、
「あ、テメェ、一緒に風呂は入らねーって言っ…」

 土方の言葉が止まるその瞬間に銀時は手を伸ばして常人には目にもとまらぬ速さでシャワーヘッドを引っ掴みブルーの蛇口を捻って出した水をジャバァァァァとかけている。当然ながら土方にも冷水がジャバァァァァとかかる。
「……」
 冷え切った真水を浴びせられている土方は無言。
「ウフ、パー子ォ、いきなりお湯かけられたからびっくりしちゃったぁ〜びっくりしすぎて水出しちゃったぁ〜ごめんね土方さん」
「……」
「ホントは背中流してあげようと思ったんだけどぉ、パー子実はお湯苦手で…ホラ、あっついじゃんお湯って。お湯かかると私ホントダメなの、実はちっちゃい頃からお湯アレルギーでね、だから後で肩揉みしてあげるから!だからまたね」
「待て」
 口早に滅茶苦茶な言い分を残しササッと去ろうとしたパー子もとい銀時の腕を、土方の手が捕えた。ぎくうううううっと肩を強張らせ冷や汗をダラダラ流し始める銀時。土方が後ろで囁く。

「今…ホントに一瞬だが、お前の姿が男に見えた」 

 ぎくぎくうううううううっ!!!

「き、きききき気のせいでしょ何言ってんのォォォォ!!?パー子そういう冗談嫌いだな!」
「見間違いにしちゃあ鮮烈すぎる」
「み、みみみ見間違いでしょ何言ってんのォォォォ!!?パー子そういう冗談嫌いだな!」
「しかも、俺のよ〜おく知ってる男の姿だ。銀髪天パ、甘党の糖尿ヤローのチャランポラン頭のポップコーン頭」
「誰がポップコーン頭だァァァァ!!!このド腐れマヨヤロー!」と、思わずいつもの勢いで反論し掴み掛かったのが運のツキであった。あ、と我に返った時はもう遅かった。
 ニヤァ、綺麗に微笑した顔が超至近距離で銀時の顔を覗き込む。逃げようにも逃げられぬ。浴室のドアを開けようとするとその手も阻まれる。顔の横に置かれた手。
「……今の言い回し、妙に引っかかるな…」
「引っかからない!引っかからないよ!パー子そういう冗談嫌いだな!」
「テメェ、何か俺に隠してねェか?」
「その前にオメーが股間のイチモツ隠せェェェ!ギャアァァァ変態!浴室で全裸の変態にパー子迫られてる!!おまわりさん助けてェェェェ!!!」
「俺がおまわりさんだよ」

 顔が更にずいっと近づく。じろじろ銀時を見回している。

「確かにな…よくよく考えてみりゃあ銀髪なんざそうそう居るモンじゃねぇしなぁ…目の色までそっくり。どういう事だ?」
「人違いですおまわりさんんんん!!それ以上パー子のことジロジロ見たら御奉行に訴えるんだからァァァァだから離せェェェ」
「髪、…ツインテール…本物か」
 ツインテール部分をびんびん引っ張ってくる。ギャアギャア喚く甲高い女の声を無視して土方が次に目を向けたのは。
「…ひっ?!」
 バスタオルに包まれている豊満な乳房を、土方の右手が鷲掴みにしたのである。弾力を確かめている。検分するような手つきである。
「本物みたいだな。女装にしちゃあ色々と真に迫りすぎている」
「な、ななな………ン!!」
 次にそっと弄ったのは、なんと下腹部。身体に巻きつけたバスタオルに隠されている下腹部から股間にかけて、確かめるようにそっと指がなぞっていく。
「本当に女の身体だ。おかしい」
「ふ、っざけんなァァァァこのマヨネーズヤロー!」
「そんな失礼極まりないあだ名で呼んでくるのは、俺の知ってる限りで一人しか居ない。やっぱり俺に何か隠してるだろう。吐け」
「つかホント強姦未遂で訴えんぞこのセクハラ腐れ警官!離せっつってんだよ!」
 無視して、土方はシャワーヘッドを銀時に向けた。
「そういえば、お湯が苦手だとか何とか抜かしてたな。そのお湯に何か仕掛けでもあんのか?」
「え」
 その単語を出された瞬間にいきなりビクッと弱気になる銀時である。その反応を見た土方が低く獰猛に笑う。
「図星か?」
「え、…だからお湯アレルギーだっつってんじゃん、ホントお湯かけるとアレ、咳鼻水微熱痰に腹痛頭痛関節痛、リウマチとか椎間板ヘルニア発症しちゃうからねホント、俺死ぬからホント」「るせぇ。お湯アレルギーなんざ存在するかバカ」
 土方は弱気な銀時の弁明を一蹴し、問答無用でシャワーのお湯を女にかけた。

 とその瞬間に、もう目の前の女はあのいけ好かない男に変身している。

「…」
「…」
「……」
「……」
「………」
「………」
 お互い向かい合って無言である。当たり前である。

「……………よし、じゃあ俺もいいカンジに男に戻った所で、今日のところはこれにてお暇させて貰うわ。バイビー土方くn」ガシッ「オイコラ逃げんじゃねェ」獰猛な肉食獣の笑顔である。

 テメェ、どういうつもりだ?説明して貰おうか、この現象。今の今まで正真正銘の女だった奴が、お湯をかけるだけであっという間に男に変身。

「いやぁ、ただのマジックですよマジック。土方クンドッキリ大作戦だからねコレ、というワケで、ハイ!ジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャンガジャ〜ンジャ〜ジャジャ〜ン解散〜」
 無言で土方が今度はシャワーの水をかける。頭から水をかぶった銀時、当然その姿は次の瞬間女に。銀時は顔を引き攣らせ声も出ない。
「…成る程な。お湯を被った瞬間、慌てて自分に水掛けていたからまさかと思えば」

 つまり、水をかけると女になって、お湯をかけると男になるとでも?

「…なんでさ、皆そんな受け入れんの早いの?」と、ヒクヒク、と乾いた笑顔で銀時。
「そう受け入れるより他無い厳然たる事実を前にして否定は出来ない。…それで?じゃあ結局あのキャバクラ云々大家族云々の話は全部嘘なワケだ。…俺に取り入る為の。お妙さんとかいうあの凶暴女から匿って貰う為の。しかも矢鱈と抱きついてきたりして、そうして俺の反応を面白がってたワケだ成る程ね」
 土方の最高の笑顔である。銀時が顔を引き攣らせ、一瞬の隙を見てシャワーのお湯の蛇口を捻ろうとするが、それも土方に阻まれる。アレ、ちょっと待てよ、女の子ってこんなか弱いの?手足の長さも違うし力も違うし、え、コレどういう状況?銀時もそろそろ事の重大さが身に沁みてきた頃合である。土方のせいで男に戻れない、浴室から出られもしない。泣きそうである。
「ちょ、俺もう帰るから。ホント帰るから離して、ホント」
「それとも、矢鱈とベタベタしてきたのは俺に構って欲しかったからなのか?心も女になって俺に惚れちまったのか」
「なワケねぇだろがァァァァ!!ぶっ殺すぞ!うぶ」
 頭一個分違う銀時の顔を少し屈んで土方は覗き込み、そしてその顎を指が掴んだ。有無を言わせぬ微笑である。怖すぎる。ガクブルである。
「いいか、万事屋。俺ァ紳士だ。決して惚れた女以外にはそうそう手は出さねェ」

 でもなぁ、人の事平気で騙す不埒な輩はなぁ…俺に何されても文句は言えねぇんじゃねぇのか?しかも元は男だもんな、───つまり、俺が気を使う要素は今のテメーにはどこにも無いワケだ。

 わなわな震える銀時の女体を隠しているバスタオルをゆっくり剥ぎ取る手。
「スンマセンスンマセンホント勘弁して下さいそれだけは勘弁して下さいホント僕おムコに行けなくなるんでホント」
「テメーにはつくづく愛想が尽きた。上等だ、二度と世間に顔向け出来ねぇカラダにしてやらァ」

 浴室でお互い全裸な二人、土方の顔が近づいてきて銀時はギィヤァァァァァと悲鳴を上げるもやっぱり誰の耳にも届かない。ご愁傷様であった。


 そして数日後、音信不通消息不明であった男が万事屋へヨロヨロと辿り着いた時、彼の顔は何があったのかすっかり窶れきって何だか物凄い目に合わされたみたいである。子供たちやら長髪の幼馴染やらが問い質しても、その空白の数日間何があったかは男は語らず、ただ静かにげっそりと頭を横に振るだけであったという。何があったかは当人とあの男のみ知る。

 

 

 

 

 おわり