「銀時」
刀を抱えて木の下に蹲る小さな影が、振り向いた。いつもの事ながら眠そうな目だ。うとうと一人で微睡んでいたのかもしれない。
「そろそろお昼だそうだ。先生が呼んでいるぞ」
「んーと…」
ポリポリ頬をかいて、桂の顔をじっと見ている。歯切れの悪い様子に合点がいった桂は、自分の名前をそっと耳打ちする。全く周りの者達に興味を示さず、一人でぼーっとしている事の多かった彼にしては、珍しい。進歩かもしれない。
「桂だ」
───小太郎さん、あの子の、銀時の友達になってあげて下さいね。
先生がそう自分に囁きかけた時は、驚いた。先生に連れられて来た銀時を初めて見た時はもっと驚いた。
先生は、色が白い。髪も海松茶に近く、珍しい色合いを持っている。しかしその上を行く、白髪紅眼。それも、太陽に当たるときらきらと硬質な輝きを跳ね返すので、白というより白銀に近い。
話しかけても反応が薄い。浮世離れしている。刀を肌身離さず抱えていて離さない。
───先生、彼、どこから来たんですか
ふふ、私が連れてきたんですよ
どこから?
鬼さんの住むところ…だから、地獄…かな?
言葉を失った。先生はクスクス笑っていた。
失礼。忘れて下さい。でもね、小太郎さん。あんなかわいい鬼が、この世に居ると思います?あんなナリでもね、甘いモノに目が無いんですよ。こないだなんか、大福あげたら目ェキラキラさせちゃって。面白いですよ〜今度見せてあげますよ、あの子の喜びようったら!
…まるで、自分の子供を自慢するかのよう。否、元から子供好きで、誰隔てなく我が子のように愛を惜しみなく与える人ではあったが。だから、桂はこの師を敬愛してやまない。それは、後ろでさりげなく銀時の様子を窺っている高杉も同じ事だろう。
名前をわざわざ教えてやったのに、銀時は少し怪訝な顔して聞き返す。
「なに?ヅラ?」
ブハっと、桂の後ろにいる高杉が、噴き出した。
「クックック、ヅラだってよ!サイコーなんだけど!」
「…銀時、ヅラじゃない、俺は桂だ」
「覚えづらい。だからヅラね」
「ヅラじゃない、桂だ」
高杉はげらげら笑っているだけで、訂正の手助けをしようともしない。桂が振り返って、キっと高杉を睨みつけた。
「おんのれ、キサマまで笑いおって!それでも学友か!」
「なぁにが学友だ。るせーよヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ!」
「ヅーラー!どーせ名前通りその頭もヅラなんだろ。前々からうすうす勘付いてはいたが、やっぱりヅラだったとはなぁ…女みてーに長い髪しやがって、ダッセー」
高杉はガキ大将よろしくケラケラ笑いながら、ズバリと言う。
フン、おれァ知ってんだぜ、ヅラ小太郎。お前、先生に憧れてるから髪伸ばそうとしてんだろ!
「うっ…何でソレを…」
「おまえの考えるコトぐらいお見通しだぜ。バカだな、そんな髪の毛なんざマネしたところで、ヅラが先生みたくなれるワケねーだろ」
「ヅラじゃない、桂だ」
「ヅラァ、ごはん食べるんでしょ。早く行くよ、しょーよーントコ」と、銀時。「ヅラじゃない、桂だ」
高杉の眉がぴくりと動いた。
「…オイ、前々から気にはなっていたが、おまえ、先生の事何で呼び捨てにしてんだ」
銀時が、そこで初めて高杉を見た。
「…えーと」
「高杉だ」こそっと桂が耳打ちする。
「え?なに、バカスギ?」
今度は桂がブハっと噴き出した。
「…っ、確かに…似合いすぎる渾名だ。むしろ、こっちが本名で、高杉は渾名なんじゃないか」
高杉が、ガっと桂の胸倉を掴む。
「…てめーボッコボコにして欲しいみてーだな」高杉。
「てめーじゃない、桂だ」桂。
「ヅラ、だからめーしー」銀時。
「ヅラじゃない、桂だ」桂。
「いいか、俺は高杉だ!馬鹿すぎなんつー不名誉なあだなつけやがったら承知しねぇからな!」
「ふぅん。…だってさ、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
「オメーに言ってんだよぉぉぉぉぉ!!」
「オメーじゃねぇもん。ちゃんとなまえあるし」
とろんとした目で云う銀髪の子供に、高杉は眉間に皺を寄せ聞く。そう云えば、いつも遠巻きに眺めているだけで、名前をちゃんと呼んだ事は無かったのだ。
「…なまえは?」
「さかたぎんとき。アイツがつけてやるって」
桂と高杉が、不思議そうに視線を合わせる。高杉が更に口を開いた。
「…先生がつけたのか?それまでなまえ無かったのか?」
「しらねーよ。よばれたこともねーもん」
な、何だそりゃ…
またコイツはふざけてるのか、と高杉が銀時に掴みかかろうとしたその瞬間、聞きなれた声が。
「コラコラ」
また喧嘩してんじゃないでしょうね。君達の喧嘩の仲裁にはほとほと疲れ果てましたからね。
松陽である。すかさず銀時が「してねーよ、しょーよー」と生意気なクチ。
「オイっ!『先生』をちゃんとつけろバカ!」
「もーうるさいなぁ〜イチイチくちだしするんだから。オマエ、おれにかまってほしいんだろ。しょーよーがまえそういってた」
「なっ…先生!」
顔を赤面させてグルンと松陽を振り返り叫ぶ高杉に、松陽はタジタジである。目を泳がせまくりである。
「え、えーとえーと、…そんなこと言ったかなぁ?」
「いったもん」銀時。
「せんせェ…」
「あは、あははは…っいた!いたいいたい!晋助さん殴らないで!」
「止めんか、高杉!先生殴ったらダメだぞ、先生が泣いたらどうする!」
桂が割って入り、松陽を庇うように仁王立ち。大人の松陽よりも断然漢らしい。男前である。
「もういいし、先生なんか!俺のキモチもてあそびやがった!」
「…アレ、なんかその言い方だと違う風に聞こえるんですけど…」
「もういいっ先生なんか肥溜めに落ちちまえ!」
「高杉ッ」と桂が高杉を追いかける。
感情の起伏の激しい高杉、それを宥めるのは桂の役目である。少し離れた場所に走っていって、地団太を踏みまくる高杉に駆け寄り、桂は何事かを喋ってそれを諌めている様子だ。
もうお昼ご飯だから、銀時を呼んできてくれ、と桂に頼み、それはいいとして随分遅いものだから探しに出てみればコレである。高杉は癇癪を起こし、桂はそれを宥めるのに必死、銀時はふわあとのんびり欠伸をかまして素知らぬ顔。
はあ、晋助さん、ああやって一度拗ねると後が面倒臭いんですよね、なかなか立ち直るのに時間がかかるというか…
「はいはい、私が悪かったですよ、御免なさいね、晋助さん。それより、もういいから御昼ご飯食べに帰りましょう。今日は西瓜のデザートつきですよ」
「るせー!」
「はいはい、うるさくても何でもいいから、いっぱい食べましょうね。じゃないと背ェ伸びませんよ」
「るせー先生のバカァ!」
高杉が捨てゼリフを吐いて、走る。しかし方角から見るに、一応村塾へ戻るらしい。桂がひそっと松陽に云う。
「おれ、高杉の面倒見ますから。こっちはおれに任せて下さい、先生」
ああっ小太郎さん!何てイイコなんでしょう!!
「それより、先生は銀時を何とか引きずってきて下さい。アイツ、寝てますよ」
桂の声にハッと振り返ってみれば、確かに銀時が木に靠れかかって気持ち良さそうにぐーぐー寝こけている。た、確かにちょっと静か過ぎる、とは思ったけども、まさかこんな短時間でまた眠りにつくとは…恐ろしい子!
「…ったくも〜銀時〜…!」
「というワケで、先生は銀時を。おれは高杉追っかけます」
桂も走って見えなくなる。あたりは一面の田園風景。
晩夏の風に、稲穂と一緒に銀の髪が、そよそよ、そよそよ、となびく。
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