数日来鶯鳴檐前不去 賦此贈鶯 |
数日来鶯檐前に鳴きて去らず 此を賦して鶯に贈る
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唄声が聞こえる。万斉の歩みは止まる。 音無く部屋に入った。 行燈の幽光の中、窓辺に腰掛け三味線爪弾き唄う男が一人。此方を見もせず、愉しそうなその顔は月を見ている。
もしも 私が鶯ならば 主のお庭の梅ノ木で
万斉が続けて唄う。
袖のほころび 垣根のとがよ それを貴方に疑われ
「結構」 柔らかい微笑。普段の隻眼の彼からは想像出来ぬ程柔らかなその表情に、万斉は密かに驚く。 「『鬢の解れ』か。また随分と古い唄を引っ張り出してきたでござるな」 「昔、自分の事を鶯に喩えやがった馬鹿が居てな。告白のつもりか知らねェが俺の前で芸妓の真似事して」 哂う声。機嫌が好いと見える。 「…ぬしは随分と鶯を好いていると見える」 フン、と鼻で哂う男。三味線を鳴らし、この調子では話も聞いているのか聞いていないのか。 溜息を吐くと、隻眼が口を開いた。三味線弾きながら唄う様に云う。 「手前は鴉が好きか?」 「…否」 「じゃあ鶯は」 万斉は返答に詰まる。真意が見えぬ、言葉遊びのような問い掛け。隻眼は万斉に眼を向けず、相変わらず月を見上げている。 「鴉は俺だ。否、逆説的に俺以外の人間、とでも形容出来る。鶯は…」 なぁ、鶯ってのはどうにも移り気でいけねぇと思わねェか。梅の枝に居たと思えば桃の枝。その癖、もう来もしねぇ春を一途にも待って待って待って、凍える寒さにも構わず傷つくのも構わず啼いて、必死に足掻いてやがる。そうして半永久的に苦しむ運命ならば、せめて終らして遣るのが人情だとは思わないか。ククク! …鶯色の目をした隻眼は斯く語りき。何処までが彼の嘘かは判別不可能。
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浮気鶯 梅をば焦らし