先生、なぜ人は涙を流すのでしょう。涙とは一体何者なのでしょう。
 涙。
 ええ、山葵を食べる時、悲しい時悔しい時、痛い時苦しい時、流れ出る時は脈絡がありません。なぜですか。
 海だからです。
 ───海?
 ええ、涙は海なのです。涙、塩辛いでしょう。あれは何故か?それは涙が海だからです。
 本当ですか?
 ええ、ええ、疑う事こそ考える力の源。懐疑こそが思想を支える根幹であることは間違いようがない。違うと思えば疑ってよいのです。それで信じられる答えを己の力で見つけなさい。

 

 

 

 


 …逃げようとしているだけじゃないですか、先生。今の自分ならこう問うだろうと思えども思えども、遅すぎる時は無いとも言うがその限りではない。というのは人間死ねば何も残らないからだ。死人に口無し、聞く耳無し、逃げるが勝ちとも言うが強ち間違いではないのかもしれない。
 逃げるが勝ち。ならば今回もお前らの勝ちなのか。高杉。銀時。


 高杉が失踪したその夜、銀時は力無い表情で笑ってみせた。「…悪ィ、止められなかった。」何が悪いだ、いつもお前らはあれが悪い、これが悪い、言う癖全てを自分の責枷にして。いつも俺ばかりを残して、お前らは行ってしまう。
「銀時」
 張り付いた前髪を掬い上げ現われた双眸は血色に見える。そして桂は悟る。

 

 高杉。
 此奴の代わりにお前が全てを担うというのか。此奴が憎んで堪らぬ世界を、そうでありながらも必死に護ろうとする此の世界を、お前が業火に焼こうというのか。御前が誰よりも先生の教えを護りたかった筈なのに、御前が誰よりも此奴を護りたかった。だがそのどれもを捨ててまで、御前は。
 

 

 ならば俺は護りきってみせる。この腐りきった世界を正し、この男を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───終わりが近い。分かってはいるが認めぬ。俺が死ぬまでこの戦いは終わらない筈だ、逆賊と罵られようとも、侍が消えても。…否、侍は消えない。この男が居る限り、侍魂はこの国から潰える事はない、散っていった多くの仲間の為にも俺は常に考え、決断し、前に進まねばならぬ。血肉よ躍れ。一分一秒たりとも休むな。報復を。そして改革を。
「なぁに気張ってんだよ」
 ぽん、と曇天の下肩を叩く手。
「気張るなバカ。うんこでもする気か?」
「うんこじゃない桂だ。バカか御前は、これが最後の決戦とも言うべき戦いなのだぞ」
「るせーよごちゃごちゃ。俺ァ楽しむだけよ。大義だなんだの堅っ苦しいんだオメーはよ」
「何のために」
 桂の喉が痞える。「何のために、貴様は戦ってきた」
 銀時は目を丸くし、次にくるりと背を向け微笑みの雰囲気を漂わせる。ただ酷くその背中はうつくしくそして物悲しい。逆に言えばこの男にはそれしかないのだ。そうでしか生きられないのだ。人間として生まれなかったが故に、誰よりも人間であろうとする。他に方法を知らない怪物なのだ。
 故に、護れなかった悲哀は知ろうとも、ずたずたの背中に護られる人間の気持ちなど分かりもしないのだ。
「一つ、質問してもいいか。俺ァ頭悪ィからよぉ、ここは一つヅラにご教授願いたいもんだが」
「何だ」
「死んだら、人間ってどうなんだっけ?」
 地獄、極楽、あの人が冗談交じりに云ったあの言葉を言っているらしい。
「馬鹿者。人は死んだら星になるのだ。そこに善人・悪人の区別は無い」
「鳥にはなれねーのか」
「鳥?」
「異国の話じゃ、背中に翼が生えて天を自由に飛びまわれるんだと。そんなものになれりゃあなぁ」
 あーあ、と大袈裟に肩を竦めた後、抜刀した白髪はにやりと笑う。
「まぁ、楽しもうや」

 桂は悟る。背中合わせの姿勢から、刀を抜く。銃声が合図となった。

 

 

 

 

 

「お逃げ下さい、桂さん…貴方だけは!」
「貴方さえ生きていれば、この国は…」
「かつ…ら…さ……」
 ならぬ、何故生きようとしない!何故俺だけ…

 何故俺だけ。

 何故俺だけ。

 

 違う、死んでいった者たちを羨むのは生者の役目ではない。そして行って帰らぬ者を羨む事すら。
 銀時、御前さえいれば。銀時。

 

 

 桂にはもう分かっていた。十分すぎるほど分かっていた。覆水は盆に帰らず、鳥は戻ってはこない、誰よりも人間になりたい鬼は次の護るべき場所へと飛び立ち、新たな修羅は全てを壊すまで止まらず、宙へと発った友は今は遠い。過去は戻らず、未来は見えず、俺は一人だ。

「銀時」

 

 

 

 何処へ…
 涙が止まらずに。寄せては返す、幸せであった過去の波と共に。

 

 

 

───小太郎さん、あの子の、銀時の友達になってあげて下さいね。